19世紀徳川日本における民の力量の増大(3)
前回からの続き
2)思想史的背景
徂徠にあっては、この「事実」と「価値」の認識論上の分離は、経学研究における実証的アプローチと、優れた経世論(政策論)を同時に可能とするものであった。しかしその一方で、漢学者として必須の表芸としての詩文作成においては、従来の、詩は志であり、政治や社会への批評がそこに内在しなくてはならないし、作者の人格の反映として倫理的に高いものであるべきだ、という価値観から詩文作成を解放した。
なぜなら、人間の生得の気質は画一的な道徳によって変化させうるようなものではないのだから(=気質不変化説)、むしろそのまま矯めずに個人の気質をのばしたほうがよい、という徂徠の主張が、詩文の位置を、儒家的価値の表現手段から、ありのままの人間性を表現する手段に押し上げたからである。そこに、けん園詩文派が盛唐を偏重する『唐詩選』を持ち上げ、18世紀徳川におけるベストセラーとする要素もあった。
こうして認識論上の革新と文芸における人間性解放という徂徠学革命は、18世紀前半の徳川日本の知的世界を席巻した。しかし18世紀も半ばを過ぎるとその衝撃は薄れ、知識人の世界においては一つの遺産として消化されるに至る。つまり、知的衝撃力を失い規範的学としても弛緩した徂徠学派は、事実上の学芸自由化時代としての田沼政治下において、文化首都としての江戸の知的バックボーンになっていたとみなせる。それは、当時の江戸文芸の盟主大田南畝が徂徠学徒であったことを思えば納得できよう。
その一方、徳川18世紀のエピステーメーとなっていた徂徠学派に対して、18世紀後半に隆盛をみる片山兼山、井上金峨などに代表される折衷学派は、徂徠学から転生した反徂徠学派の典型であった。その朱子学的な倫理からの《社会工学=徂徠学》批判は、この時十分な歴史的妥当性を持っていたと言わざるを得ない。〔次回に続く〕
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