19世紀徳川日本における民の力量の増大(2)
前回から続き
■ならば、なぜこの時期に朱子学が官許の学問になったのか。
1)社会経済的背景
18世紀徳川日本における経済社会の成熟。一般に、18世紀は人口増加も停滞し、後半になれば天明の大飢饉、百姓一揆、打毀し、などもあり、経済的に貧しいイメージだ。
しかしマクロ的、歴史趨勢的には、世紀を通じて年貢対象である米作の土地生産性は向上し、農閑余業(木綿、養蚕、日雇・出稼)は相対的に貧しい階層、地域に現金収入をもたらした。土地生産性の上昇が年貢の定免制化と組み合わさればその余剰分が農家に残ることになり、農閑余業所得には年貢がかからない(いわば非課税)ので、年貢さえ納めていれば、その分所得上昇となる。
これらが市場機構の進展の原因および結果となり、三都(京、大坂、江戸)、地方を問わず、経済的余剰が被治者庶民層に相対的に有利に配分された。こうした全体水準の底上げは、当然上層庶民層に経済的実力を持たせる。そうなると(18世紀前半の徳川吉宗の、統治のための庶民教化策を一つの契機としながら)、上層庶民層に学芸を嗜好(志向)する、生活的余裕と心性が養われてくる。
その一方で、武士下層の知識人は、吉宗による徳川統治機構の修正にも関わらず、やはり重い身分原則のもとで、地位とその承認を統治機構の中で実現できず、学芸、とりわけ、文芸にそのエネルギーを注ぐことになる。
ここで、武士下層部分と庶民上層部分の、文化的な身分融解がおこり、これが18世紀後半の田沼時代、さまざまな学芸、文芸的奔流がおこる人的資源となった。
2)思想史的背景
18世紀前半、すなわち享保以降しばらくは、いわば徂徠学革命の時代であり、日本文化史上初めて、学芸のヘゲモニーが、京から箱根を越えた。このタイミングは、出版業の隆盛と足並みを揃え、徂徠学が全国制覇を成し遂げたことを意味した。
ただし、けん園学派(徂徠学派)は、徂徠亡き後、太宰春台の経術派と服部南郭の詩文派に別々に成長してしまい、実は覇を唱えたのは、後者のけん園詩文派だった。
この分流は徂徠自身に胚胎していたもので、彼をして革命的な思考をなさしめていた、「であるべきこと ought to be」と「であること to be 」の認識論的峻別が、弟子たちにそれぞれ受け継がれた結果といえる。 〔次回に続く〕
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