帝国は近代主権国家になれない
18世紀、西洋で「七帝国」と認知されていたものがある。ロシア、神聖ローマ帝国、トルコ、中国、ムガール、日本、の七つである(平川新『開国への道』2008 )。これらが「帝国」とみなされたのは、それらが「諸王に君臨する皇帝がいる国」(同上)だからである。
そしてこれらすべてに共通するのは、「帝国」的国制を維持したままでは、近代の主権国家に脱皮できていないことだ。近代主権国家の目印は、ある特定の領域に、一つの権力、一つの常備軍、一つの官僚制、一つの徴税制度、議会制が存在することである。西欧諸国が近代主権国家の外貌を呈するのは、それが絶対王政による、身分制社会の各身分に属する諸権利の清算(=主権化)という「地均し」を経た時であり、その完成は、何らかの「国民化」革命を経験した時である。
さて、そこで徳川公儀の国制だが、これは常備軍の有無一つ見ても、官僚制を見ても、その体制内でいろいろな自己改革が試みられたとはいえ、やはり自力では身分制社会の清算を成し遂げられなかった。なぜなら、徳川の国制が新しい近世の身分制を創出すること、いわば新しい社会契約そのものだったからである。
すると、この列島の19世紀における近代主権国家化の課題は、結果的に薩長藩閥政府に委ねられたことになる。薩長藩閥政府は、西欧諸国の歴史過程の、身分制国家→絶対主義王権による主権化→「国民化」革命→近代主権国家化、というプロセスを経ることは、その歴史条件上、不可能であった。つまり、西欧主権国家群が歴史的ステップとして潜り抜けた、絶対主義化(=主権化)→「国民化」、を同時に達成することを彼らは課題とせざるを得なかったことになる。この西欧主権国家群でさえも未知の歴史的実験に挑戦した帰結が、「明治コンスティテューション」であり、その誕生から約80年後に自身の「清算」を迫られたことは、いかにこの実験が困難なものだったかを示していよう。その「宿題」を引き継いだ「戦後コンスティテューション」は、果たしてそれを十全に「解き」終わっているのか。入念な再考の余地があると思う。
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