「藩」コーポレーションの成立/ Formation of the "Han" Corporation in Tokugawa Japan
現代日本人が徳川日本に存在したと信じている「藩」。実は、この「藩」なる語が統治者の公式文書に載ったのは、明治二年(1869)の「版籍奉還」から「廃藩置県」までのわずか二年間にすぎない。人口に膾炙し出したのは、徂徠学派の影響が浸透する18世紀半ば以降である。(渡辺浩『東アジアの王権と思想』東大出版会1997 、p.8参照)
したがって、あまり気軽に「藩」という語を使いたくはない。しかし、実はこの「藩」なる語が一般化することと、武士たちの勤しむ大名家が、主君⇔家臣というpersonal な相互関係から一種の「法人 corporation 」化を果たし、君主・家臣団ともに、その impersonal な「藩」という法人を構成するメンバーに過ぎないという認識が広まるのは、時間的におおよそ一致する。
■法人化の二つの経路
ただし、
①家臣団から見て「~家」が「法人化」することと
②君主にとって「~家」が自分の私的処分権を離れて公器として「法人化」してしまう、のとは少々事情が異なるであろう。
①「一般的に見て十七世紀後半、元禄期までに大部分の大名家で(大名家数で85パーセント、知行石高で55パーセント)藩庫から年貢米が支給される俸禄制へ変質し、自余の大名家についても制限的徴租権程度の知行権に限定され、実質的に藩庫支給の俸禄と大差ないものとなっており、このような俸禄制こそが近世的知行の典型であると見なされている。」
笠谷和比古『主君「押込」の構造』講談社学術文庫(2006)、p.245
②「そして幕府は、宝暦年間に発生した一連の主君「押込」事件の処置と判決宣告を通じて、この家臣団主導の下に執行される主君「押込」の「正当性」を事実上表明に至ったのである。」
笠谷和比古『主君「押込」の構造』講談社学術文庫(2006)、p.200
■家臣団の法人化
②でいう宝暦年間とは、1751年から1764年のことであるから、これなら上述の渡辺氏の指摘と平仄が合う。つまり、「藩」コーポレーション、すなわち「藩」の法人化は、まずは家臣団にとって俸禄制として元禄期に既成事実となり、ついに宝暦期において主君「押込」慣行が公儀から承認(合法性)を獲得することによって、主君にとっても動かしがたい現実となるわけである。
■主君機関説
当然、この変化は、その当事者たちの心性 mentality に影響を与えずにはおかない。
一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物には無之候
一、人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物には無之候
一、国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には無之候
笠谷和比古『主君「押込」の構造』講談社学術文庫(2006)、p.288
これは、有名な米沢藩主上杉鷹山「伝国の詞」(1785)である。また、こういうのもある。
一(中略)古人も天下は天下の天下、一人の天下にあらずと申し候、まして六十余洲は禁廷(朝廷・天皇の意)御預かり遊ばれ候御事に候えば、かりそめにも御自身の物に思し召すまじき御事に御座候、将軍と成らせられ天下を御治め遊ばされ候は、御職分に候、
藤田覚『松平定信』中公新書(1993)、p.110
これは、将軍補佐となった松平定信が、十六歳の将軍徳川家斉に対して諭した、天明八(1788)年、「将軍家御心得十五ヶ条」の一つである。鷹山「伝国の詞」の三年後に作成されたものなので、同じ時代精神の下にあったと見てよいだろう。藤田覚は、この定信の将軍への訓示(大政委任論)が、80年後の幕府滅亡(大政奉還)の種を蒔いたという。一方で、鷹山のメンタリティと共通する部分があることからして、諸「藩」の君主のようには「主君押込」れることはない将軍家において、いかにして法人国家観を若い将軍に理解させるか、のための便法という側面も考慮に入れるべきかも知れない。
※参照
「藩」が公式に使われたのは明治初期の2年間のみ
徳川期の「天皇機関説」
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