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2009年5月18日 (月)

百姓と朝廷

 「オトナナリ」という儀式をご存知だろうか。別名、「官途成(かんとなり)」と呼ばれたりもする。論者から一部引こう。

「オトナナリは文字どおり老(おとな)になることで、成人式であり、村の正規の成員になる儀式である。中世の人々は一人前になると頭に烏帽子(えぼし、冠)をつけ、刀を腰にさし、幼名をあらため名乗りをつけた。百姓・職人とて例外ではない。幼名は寅年生まれなら虎、戌年なら犬、二番目は二郎で、五番目は五郎、すこし上品になると虎千代、五郎丸といった感じであるが、成人となるとこれに官名がつく。スケ(允、助)、ヒョウエ(兵衛)、エモン(衛門)・ジョウ(尉・丞)などなど、単純な例であるが、虎助、二郎兵衛、五郎左衛門、虎之丞といった具合である。

 いずれも、がんらいは律令官職制度の官名であり、朝廷からこれらの官を受領する儀式が原型にあった。オトナナリを「官途成(かんとなり)」とよぶ例はき わめて多く、村にかぎらず町においても一般的に存在した。官途につくという形式を踏むことによって、惣村の成員たる事実が確認されたのである。これはかれらがみずからを現実に存在しない国家の制度的部分として意識することにより、その公的存在としての性格を主張しようとしていたものとみることができる。

 江戸時代には、ほとんどすべての百姓・町人の名前が官名をつけるようになった。甚助・太郎衛門・平右衛門などなど、枚挙にいとまがない。そこにいたる過程で、惣村の百姓たちは武士の主従制による支配を拒否し、安定した国家の公権による支配にあこがれ、そのまぼろしの公権の一部分を担う意思を、寄合の重要な儀式であるオトナナリのなかで暗に表明していたのである。」
朝尾直弘「東アジアにおける幕藩体制」、『日本の近世1 世界史のなかの近世』中央公論社(1991) 、pp.84-85

 徳川期における律令制の問題は、武家の官位を巡って存在することは了解していたが、村や町の庶民層における名前にまで律令制の影響が及んでいることは、 上記の指摘で私としても改めて気づいた点だ。このことは、日本近代における「天皇制」の、民衆的心性の起源になんらかの関連があると思わざるを得ない。今、公開中の映画 「GOEMON」(五右衛門)も、実は律令制における官名だったことになる。歌舞伎名跡など(例えば、中村歌右衛門)も含めて、庶民の心性の中の「禁裏・朝廷」、から再検討する必要があるだろう。

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