Creeping Modernization(忍び寄る近代化)
1.「オールコックはこの旅行のあらましをロンドンの王立地理学協会に報告したが(富士登山についてもすでに報告していた)、そのなかで、こうした日本製品の見事さに触れ、公平な競争が行われるなら、マンチェスターでも、パリでも、リヨンでも、日本人はけっして引けを取らないだろうと、わざわざ紹介している。彫刻や絵の腕に覚えのあるオールコックには、自分の目に自信を持っていた。江戸や横浜でも、気に入った品物を見つけると買い求めて東禅寺に持ち帰っていたが、この道中のコレクションは、梅雨の時期にあえて決行した長旅の戦利品と言ってよさそうだった。」
佐野真由子『オールコックの江戸』中公新書(2003)、p.167
2.「幕末の(汽船製造の;引用者注)技術移転はほぼ完璧だったと私は考えます。だがこのとき移転されたのは、汽船がまだ未完成の時期の過渡期の技術でした。長崎で必死に過渡期の技術が学ばれているあいだ、世界の汽船技術は完成に向けて急速に進んでいました。」
中岡哲郎『日本近代技術の形成』朝日新聞社(2006)、p.329
3.「東作・東右衛門(満作改名)父子は通商条約にかなりの関心を抱いていたようだ。同年11月6日の幕府とハリスとの条約交渉を記録した「亜墨利加使節対話書」を写し取ったからである。」
佐藤誠朗『幕末維新の民衆世界』岩波新書(1994)、p.18
1と2の引用から伺えることは、徳川の19世紀中葉には、この列島内に成熟した技術体系を蔵する産業社会が出現していたらしいということ。また、3の引用からは、在村の庄屋クラスなら、ビジネスチャンスを伺うため、外交交渉の記録を読むこともあったということ。
また、そういった外交文書の写しが、徳川公儀によって各方面に意見を募るため配布されたとは言え、それは統治者階級(上層武家)向けに過ぎなかったのであり、それにも関わらず在村レベルの庶民にも比較的容易に入手できたらしいという、驚くべき徳川の情報社会化の現実である。
19世紀徳川における、ある種の「近代化」への内圧は、十分臨界点に達していたのはほぼ疑い得ない。
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