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2009年8月12日 (水)

青木美智男『日本文化の原型』(全集 日本の歴史 別巻)小学館、2009年

 本書の内容を要約するなら、こうなろう。

  庶民階層が享受可能となった、生活の潤いとしての様々な文化資源(アイテムや装置)とそれを取り込んだ生活様式を「文化」と呼ぶならば、現代日本文化の原型は、江戸時代、とりわけ、19世紀前半の化政期、天保期にあり、その再検討、再評価を通じて、江戸時代暗黒史観に異議を唱える。

 著者の狙いは達せられていると思う。ただ、若干、読後感が薄い感がしないでもない。村の小前百姓や大都市江戸の細民の生活文化の全体像を提供しよ うとするわけだから、語りの焦点が絞りにくいのは止むを得まい。それだけに、徳川19世紀において、列島史上に初めて大衆社会が出現することを意識した視点が必要だったのではないか、と思ったりもする。

 それにしても、天明の大飢饉(1783,86)の十年前において、安永2年(1773)5月25日から85日間のお伊勢参りツアーに出たのが、その大飢 饉で打撃を受ける、寒村であろうとイメージされる陸奥国白川郡宝坂村小百姓九人という記録にも驚く。彼らは、讃岐の金比羅さんや丹後の天橋立にまで足を延ばしているのだ。彼らも寄った熊野三山詣での結節点である田辺には、年間参詣客が毎年10万人以上宿泊したという。生命を維持するだけが、江戸期における村の生活水準なら、一年の四分の一に及ぼうとする旅など不可能なのは明らかだ。が、一方、飢饉の悲惨なイメージもあるので、その整合的な説明はどこかで必要だったろう。

 私の関心から興味深いのは、18世紀後半(天明期)から盛んに出版される、名所図会等の観光案内書の内容が、神社仏閣、風光明媚な景色の名所案内から、 19世紀に入ると、産業現場への観光的関心にシフトし、文化年間あたりになれば、列島各地の名物名産の生産工程や商業の現場を新名所として、続々と紹介し出すところである。この傾向は、旅日記にも見ることができ、菅江真澄・古川古松軒などの人文地理学的記録などは周知であるが、一般の商人、というよりはブルジョアジーと呼べそうな人々の旅日記にさえ、そういう関心が顕著となっている。

 このことから帰納できることは、19世紀の列島社会が、同じ徳川レジームにありながら、それ以前とは別の社会へと変質してしまったということである。ビジネスソサエティの出現と言ってよいのではないか。非西洋世界において、列島社会が逸早く資本主義体制に転換した、ということが歴史的事実といえるなら、 その理由や原因は別として、西洋世界と類似の、社会のビジネス化がこの列島社会において19世紀に西洋と同期的に亢進したことは、そのひとつの証左だろう。

青木美智男『日本文化の原型』(全集 日本の歴史 別巻)小学館、2009年
目次

はじめに 江戸時代における庶民の生活文化

プロローグ 無事と士農工商の世
 無事の世
 定住社会
 巨大都市の誕生
 職分制国家

第1章 ねぐらから住まいへ
 掘立式から礎石式へ
 住まいを豊かに
第2章 暮らしを潤す
 暮らしを彩る絵画
 心を表現する絵画へ
第3章 学ぶ、知る
 外国人が驚く読み書き能力
 幼いころから読み書きそろばん
第4章 文具をつくる、文を書く
 教育産業の成立
 文房具の流通
第5章 知と美を広める
 出版企業の成立
 三都書物屋仲間の時代
 本屋は江戸へ
 貸本屋が本屋と読者をつなぐ
第6章 食べる、着る
 無事の世の食文化
 酒なくて
 麻から木綿へ
第7章 浮世の楽しみ
 生世話狂言
 村芝居の隆盛
第8章 旅への誘い
 寺社参詣の旅へ
 憧れは漂泊の旅
 名所図会の時代
 産業観光文芸の登場

エピローグ 『ごんぎつね』と環境歴史学
 小さな動物との共生の物語

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コメント

足踏堂さん、コメントありがとうございます。
>社会的枠組みの刷新を怠れば・・・
>徳川支配の終焉は、やはり経済政策の失敗
ご指摘の通りだと思いますが、徳川レジームにとって、勃興しつつあるビジネスソサエティに適合する社会的枠組みとは、そのまま体制変革=自己否定に直結します。それからすると、徳川レジーム自身では達成できず、レジームの外側に立った(立ってしまった)人々によってしかできなかったのでしょう。
今年の6月に、ポランニー『大転換』が、版元の東洋経済新報社から、スティグリッツの序文を付けた新版からの新訳として改めて出ています。
そのポランニーは、市場を三つにカテゴライズして、対外市場(external market)、局地的市場(local market)、国内市場(internal or national market)と概念化しました。それぞれは起源を異にしているものであり、この三つが同期的にリンクしたものが、市場社会(資本主義社会)であり、この市場社会は長い人類史の中でも、特定の場所と日付を持つ特異な存在であると指摘しています。
徳川公儀体制は、対外市場を、長崎を中心とした管理貿易(=鎖国)で制御し、列島各地で族生した局地的市場を、公議と諸大名によるさまざまな介入(株仲間など)で制御することで、国内市場(全国市場)とブルジョアジーの出現を抑止しようとしていましたが、結局は、すべての市場をリンクさせる体制が必要となり、歴史から退場せざるを得なくなった、というべきなのだと思います。

投稿: renqing | 2009年8月13日 (木) 13時12分

ご無沙汰いたしております。
生産力の向上が余暇をうみ、それが新たなサービスビジネスをつくるという流れは、「文化資源」の普及に資して「大衆社会」を可能にする一方で、社会的枠組みの刷新を怠れば格差が生まれて社会不安が増すという危険も孕んでいそうですね。そうしてみると、徳川支配の終焉は、やはり経済政策の失敗にあったとみることができる気もします。
ところで、現代のこの列島、しばらく前まで地方では「観光」を声高に叫んでいました。さらに、ビジネスパーソン中心に「セミナー」が大流行ですが、これはrenqingさんのおっしゃる「江戸期ビジネスソサエティ」の出現期の現象と類似しているように感じられます。
>文化年間あたりになれば、列島各地の名物名産の生産工程や商業の現場を新名所として、続々と紹介し出す
これなど、現代の「セミナー」ではないですか。現代の方が進んでいるという見地からすれば、江戸もなかなかやるなぁ(日本は進んでいた)という保守派的理解になりそうですが、ただの繰り返しと見ることも可能である気がします(茶番劇として?)。

投稿: 足踏堂 | 2009年8月13日 (木) 11時54分

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