オブジェクトとしてのデモクラシー (Democracy as an object)
デモクラシーを列島史の中で生起した生政治(Bio-politics)の一部として議論するとき、批判的な文脈で言及されることが多い。
曰く、制度のとしてのデモクラシーは存在しても、それを動かす国民にはエートスとしてのデモクラシーが欠けている、とか、曰く近代原理としてのデモクラシーにふさわしいモーレスを形成できていない、とか。そして、「だから近代日本のデモクラシーは本物ではない」といった風に言われてしまう。
確かにそういった指摘を免れない側面は存在するだろう。ただ、それがこの列島住人だけの特徴かといえば、そうとばかりは言えまい。それは米国民が ブッシュを選んだり、英国民がサッチャーやブレアを選んだりすることだってあることを見れば多少わかろう。現代国家における国政レベルでは、数千万人のデ モクラシーや数億人のデモクラシーが運営されているのだから、見事にワーキングしないことは十分ありうる。
私がここのところ集中的に読んだ、坂野潤治氏の近代日本政治史関連の著作から受け取った教訓は、なんだかんだ言いながら、列島における近代デモクラシーの実践は、それほどひどいものでもない、ということだ。これは著者である坂野氏も、
幕末から昭和初期までの七十余年間には、結構すぐれた民主主義思想と民主主義的実践があったという事実は、この三冊の新書(『昭和史の決定的瞬間
』『明治デモクラシー
』『未完の明治維新』;引用者注)を書き終えた今、かなりの確信をもって言うことができる。先輩の世代の日本近代史像とは全く違う 歴史像を持つにいたったのである。
問題は、そこから先にある。戦後歴史学の暗黒の日本近代史像も間違っていれば、それを単に裏返したにすぎない、体制派知識人の美しき天皇制日本も事実に反する。そこまではほぼ確信できた。」
坂野潤治『未完の明治維新』ちくま新書(2007年)、あとがき、p.244
と述べている。ただ、その一方で、さきほどの批判的に指摘される事柄(エートスやモーレス)も一概に否定できない。簡単に言えば、「仏作って魂入れず」ということだ。これらをどう考えればよいのか。つまり、麗しくも見事なデモクラティックなエートスやモーレスが全人民に共有されていなくとも、デモク ラシーはそこそこワークしないでもない、のだ。
そこで、私は、デモクラシーにも二つの見方があると考える。サブジェクト( subject 主体、主題)としてのデモクラシーと、オブジェクト( object もの、対象物)と してのデモクラシー、である。前者が、エートスやモーレス、「魂」レベルでデモクラシーを考えることであるなら、後者は、制度、仕組み、「仏」 レベルのデモクラシーを考えることである。
限られた合理性( H. Simon )や知性のもとにある人間にとり、環境を構成する社会制度や仕組みは、生活し、考え、行動するための重要なガイドライ ンである。また、それをサポートしてくれる一種のオブジェクト(もの、道具、装置、device、Apparat)だ。したがって、デモクラシーの仕組みである、議会、選挙、投票、等も デモクラティックに行動するという設計意思のこめられた、オブジェクトということになる。
だからこそ、日中戦争直前の総選挙(1937年4月30日、昭和12年)でも、社会主義政党である社会大衆党は37議席の大躍進を遂げることが可能だったわけである。明治コンスティ テューションには、近代国家において一大政治勢力となりうる軍が、政府の指揮下にない、という致命的セキュリティー・ホールがあった。最終的には、この問題がオブジェクトとしての戦前デモクラシーを機能不全にしてしまったが、もしこの穴がどんな形であれ埋められていれば、戦前の歴史はかなり異なる相貌を示 していた可能性は高いのである。
今月末に、4年ぶりの総選挙がある。21世紀の、列島社会を含む世界が直面している問題は、長期的でグローバルな難問が山積みだ。それがたかだか一回の総選挙の結果で解決するわけがない。しかし、今現在の列島には人民の意思表示の装置として衆議院議員選挙がある。過大な期待を慎むのは当然だが、とりあえずこのデモクラティックな装置をまずはワークさせ、「人民の意志」を表明することは大切なことだと思う。この装置を希求しながらも、その生前には求められず歴史の影に埋もれ斃れていった、幾多の先人がいることを忘れるべきではない。
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