福沢諭吉の人民「胡蝶」論(1879年)
試(こころみ)に彼の胡蝶(こちよう)を見よ。その芋虫(いもむし)たるときは之を御(ぎよ)すること甚(はなは)だ易(やす)し、指以(もつ)て撮(つ ま)むべし、箸以て挟むべし、或はその醜を悪(にく)めば足以て踏殺(ふみころ)すも可なりと雖ども、一旦蝶化(ちようか)するに至ては翻々(へんぺん) 飛揚して復(ま)た人の手足に掛らず、花に戯れ枝に舞い意気揚々として恰(あたか)も塵間(じんかん)の人物を蔑視愚〔弄〕哢するが如(ごと)くなれど も、羽翼(うよく)既(すで)に成る、之を如何(いかん)ともすべからず、指以て撮むべからざるなり、箸以て挟むべからざるなり。
今改進世界の人民が思想 通達の利器を得たるは人体頓(とみ)に羽翼を生ずるものに異(こと)ならず。千七百年代の人民は芋虫にして、八百年代の人は胡蝶なり。芋虫を御するの制度 習慣を以て胡蝶を制せんとするは亦(また)難(かた)からずや。故に云(いわ)く、今の世界の諸政府が次第に専制に赴くは自(おのず)から止(や)むを得 ざるの事情なれども、到底その功を奏するの望(のぞみ)はあるべからざるなり。
Digital Gallery of Rare Books & Special Collections < デジタルで読む福澤諭吉 民情一新 1879(明治12)年>より、検索ウィンドウから「胡蝶」を入力 → 民情一新-89ページ、< eBOOK > / < テキスト >のどちらかを選択(ただし、テキスト中の「むし」の字が変換できないため、通常の「虫」にした;引用者注)
引用中の福沢の「人民」は西洋人のことであるが、私がこのブログで縷々取り上げているように、徳川期の列島の人民も、事実上、「千七百年代の・・芋虫」 から、「八百年代の胡蝶」に変貌を遂げようとしていた。19世紀列島経済の「国民経済」化は、多様なコミュニケーション革命と歩調をあわせ、ある種の大衆情報社会をこの列島に既に作り上げていた。だからこそ、明治の国制変革は列島を二分する大規模な内戦にまで拡大しなかったのだ。人民の誰もが、あるいは公然と、あるいはうすうすと、徳川レジームの歴史からの退場を了解していたからである。それが事実上の公論だったからである。それが恰も「革命勢力」の英雄たちの、指導宜しきを得たことのおかげだった、というのは、明治レジームを作り上げた者たちの「国家創生神話」に過ぎないと知るべきだろう。
参照
1)坂野潤治『明治デモクラシー』岩波新書(2005年)
、p.38
2)坂野潤治『日本憲政史』東京大学出版会(2008年)
、p.50
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