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2009年9月22日 (火)

幕末期の「神の見えざる手」論

大国隆正は、「西洋学者のいふをきくに、西洋にてもはら天主教も、通商のこともともに、如徳亜よりおこりて、アメリカ州まで及びたるものなりとぞ。天主教は友愛を宗とす」(『古伝通解』巻三、『大国隆正全集』巻六、159-60頁)と説いているが、大国の場合、利己心は正志斎のように全否定されることはなく、生産・商売をうながすものと肯定され、しかも、利己心は競争をもたらすものではなく、百姓・商人・職人のそれぞれの利己心の発動は、意図せざる結果として、お互いが「あひたすけ・あひすくふ」となり、それが「神の智慧」であるとされる(『死後安心録』、全集五、320-21頁)。そして、キリスト教の「友愛」はまさにその「あひたすけ・あひすくふ」ことを目指しているものとしてとらえられている。
前田勉『江戸後期の思想空間』ぺりかん社(2009) 、p.365、注17   

 大国隆正(おおくにたかまさ)1792-1871(寛政4-明治4)は、徳川末期の国学者であり、明治初期の、神仏分離・廃仏毀釈を指導した福羽美静(ふくばびせい)、玉松操は彼の門人であることからして、そのイデオローグと言ってよい人物だ。ただし、当時の維新イデオローグが頭の固い狂信的な連中なのだと決めつけるなら、事を見誤る。その好例が上記である。引用部分をカラーフォントにしたのは私だが、この部分だけをみれば、古典派経済学者アダム・スミスと錯覚してしまうのではないか。

..., he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention.
The Wealth of Nations, Book IV, Chapter 2

「人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することによ り、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手 によって導かれた結果なのである。」
国富論、第4編、第2章

 大国隆正は、19世紀の列島において繰り広げられていた、ビジネスソサエティーの現実を直視し、それを合理化したことになる。それがいわゆる幕末国学のイデオローグというところの違和感を、しっかりと整合的に説明する必要が現代の我々にはあろう。

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