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2009年9月24日 (木)

徳川期の「天皇機関説」

①「本条(明治憲法第4条のこと:引用者注)ハ此憲法ノ骨子ナリ。抑憲法ヲ創設シテ統治ヲ施スト云フモノハ、君主ノ大権ヲ制規ニ明記シ、其ノ幾部分ヲ制限スルモノナリ。又君主ノ権力ハ制限ナキヲ自然ノモノトスルモ、已ニ憲法政治ヲ施行スルトキニハ其君主権ヲ制限セザルヲ得ズ。」
憲法草案枢密院会議筆記(明治21年6月18日午後の条)、
鳥海靖『日本近代史講義』東大出版会(1988) 、p.228

②「立憲政体ヲ創定シテ責任宰相ヲ置クトキニハ、宰相ハ一方ニ向テハ君主ニ対シ政治ノ責任ヲ有シ、他ノ一方ニ向テハ議会ニ対シテ同ジク責任ヲ有ス
憲法草案枢密院会議筆記(明治21年6月18日午後の条)、
鳥海靖『日本近代史講義』東大出版会(1988)、p.10

 近代史家の鳥海靖氏は、上記2点を例示して、美濃部の天皇機関説に以下のように評価を下している。

「当然のことながら、憲法起草者の中心だった伊藤(博文:引用者注)のこのような立憲主義的憲法理解は、単に彼の個人的なものではあり得ず、明治政府の憲法運用に少なからぬ影響を及ぼした。そのことは、明治立憲制の理解・評価にとって、はなはだ示唆的であるように思われる。美濃部達吉の天皇機関説における憲法の立憲主義・議会主義的解釈は、伊藤のかかる憲法理解の発展線上にあったとみて差し支えあるまい。」
鳥海靖『日本近代史講義』東大出版会(1988)、p.10

 この鳥海氏の指摘をうけて、尾藤正英氏は思想史家の知見から検討を加え、下記のように論を進める。

「明治憲法の正統的解釈としての美濃部の天皇機関説が、国家を一種の共同体とみる考え方に特色があり、しかもそのような国家観は、美濃部によれば(伊藤にとっても当然そうであったと推測されるが)、日本古来の歴史的伝統と合致していた。」
尾藤正英『江戸時代とはなにか』岩波書店(1992) 、p.234

 しかし、明治憲法のなかで、一条だけ「伝統的な国家意識とは背馳する性格のものが含まれていたこと」(同書、p.240)を、尾藤氏は指摘する。 それが、「第三条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という君主無答責条項である。そしてその理由を、「・・・、外国の制度にこの原則の本来の根拠があるのであろう。すなわちこの憲法第三条こそが、まさに外来思想なのである。」(同書、p.243)と説明する。

 しかしながら、ここに以下のような記述がある。

「儒学の本来の立場では、「名」と「実」との一致が理想とされ、「君、君たり、臣、臣た」るべきことが要請されていた(『論語』顔淵篇)が、右の名分論の立場(水戸学者藤田幽谷の『正名論』を指す:引用者注)では、君主が君主たるにふさわしい徳性や能力を具備することは必要とされていない。すなわち君主として負うべき個人的な責任を解除されているところに、この名分論によって基礎づけられた君主としての天皇の特色がある。責任がないことは、権限がないことにも通ずるから、この名分論にもとづく尊王の理論は、まさに寛政期の幕府が、形式上の尊王と実質上の政務委任とによって、朝幕関係を明確化しようとした考え方に対応しているといえよう。」
尾藤正英「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13(近世5)1977 、pp.78-79

 藤田幽谷は、時の首席老中松平定信の依頼で『正名論』を上書したのであるから、それは同時に大政委任論の理論骨子ということになる。そしてその大政委任論は、当然のごとく天皇の無答責を論理的に帰結せざるを得ない。

 当面の結論を急ごう。明治コンスティテューションの一部としての明治の憲法典は、西洋流、なかでもプロイセンの欽定憲法を引き写したものだ、というのが現代の教科書的理解である。しかし、実はその根底に国制史的な連続性があり、そのことが非西洋地域として比較的スムーズに憲法典を作り上げることができた理由の一つだと考えられる。ただし、西洋起源の制度的リソースと列島に歴史的に形成された国制観念のアマルガムが、整合的に機能していたかどうかは、「天皇機関説事件」(1935年)や日中戦争勃発(1937年)を経て実質的に憲法停止に追い込まれた無残な歴史を振り返ると否定的に評価せざるを得ない。それが「統帥権」がらみだとすれば、徳川270年の武家政権(軍事政権?)という歴史的経験との関連を検討する必要もあるだろう。

〔参照〕
「藩」コーポレーションの成立

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