「維新」から「明治維新」へ
「明治維新」の語の使用は「維新」よりも新しい。『明治期刊行図書目録』などの目録で調べてみると、「明治維新」の入った書名が現われるのは1912年(明治45)からで、それ以前の書名にはただ「維新」の語が使われているだけである。明治維新を付した題名が頻出してくるのは、大正の末年から昭和に入ってである。
江村栄一編『近代日本の軌跡2 自由民権と明治憲法』吉川弘文館(1995) 、p.4
執筆者である江村氏は、資料中に出現する「明治維新」の語にも検討を加え、事例を挙げた上で、以下のように述べる。
・・・、明治期の後半に入って、部分的にではあるが「明治維新」の語が使用され始めてきたのではないかと推測される。同上、p.5
続けて江村氏は、同時代人の維新観では、維新の期間の取り方が比較的短い、ことを指摘する。概ねペリー来航(1853)から明治6年(1873)前後を挙げている事例が多く、
維新が終わったということは、政権交替が終了したというだけでなく維新を支えた精神が変わったということを意味する場合が多かった。維新の精神とは「公議輿論」を意味していたが、その内容は多義的であった。同上、p.6
として、1889年(明治22)の『国民の友』66号に掲載された、「維新革新史に関する管見」を事例に挙げ、その中の維新の改革の説明の4点を以下のようにまとめ、
1)公議輿論の力、すなわち天下の公憤により天下の人材が活躍したこと。
2)徳川幕府の倒壊は社会の大勢によるものであり、維新の改革は欧米文明の模倣であること。
3)維新の改革は当時誰であっても公議輿論の名を借りねばならなかったものであること。
4)公議輿論に名を借りた改革は薩長ニ藩の政略によるものであること。
、その節をこう締めくくった。
いずれにしても、公議輿論の消滅という状況認識のもとに第二維新論が登場してくるのである。同上、p.6
維新そのものは、当初、単に武力倒幕勢力による権力奪取劇のみによって尽くされるわけではなかった。そこには、当時の列島においてほぼコンセンサスを得ていた、「公議輿論」によって国論を定め実行していこう、というこの列島の文明史的、あるいは国制史的画期が背景に存在していた。それ故、徳川氏の権力者としての退場や、その後の版籍奉還などの身分特権の剥奪等の歴史的大変動が、米国における南北戦争(The Civil War)のような深刻な内戦を経ずに、比較的スムーズに推移した、と見ることも可能なのである。一旦、社会の秩序が崩壊すると、その再建が至難の業であることは、現代アフリカの悲惨な内戦や、アフガニスタン、イラクなどを見ても了解できる。ただ一つ残念なことに、「維新」の可能性は、振り返ってみる と「明治維新」という具体的な史実に流産せざるを得なかった。ここに、この歴史的「変革」の評価の困難性がある。
*徳川公儀体制の時代を、「江戸時代」と呼ぶ慣わしも、「明治維新」という語の定着と期を一にしているのではないか、というのが私の一つの仮説だ。
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