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2009年10月 4日 (日)

祝800回 (^-^v

 なんだかんだで、本日800回目となった。

 現在の本ブログの中心課題は、太平洋西岸に位置する、この列島の徳川期から明治期への歴史変動を、「連続」の視点から再考し、列島史における「近代 modernity」を改めて俎上に載せること。そして、その成果から、21世紀初頭の地点において、「近代」と人類の距離を計測すること、である。

 現時点での感触をメモしておこう。

1)列島の「近代 modernity」の始まりは、18世紀末から19世紀初である。

2)そう仮説を立てると、徳川後期と明治期を一体のものとして考えることが可能となる。
  この仮説を発見法(heuristic)として、いくつか重要な問題設定ができる。

3)明治の「文明化」は、主に「西洋化」として理解されているが、そこには、「朱子学的文明化」もあり、いわば「重層的文明化」があったのではないか。

・「一世一元の元号制」→ 朱子学がイデオロギー化した明代に起源する。
・「太政官制」→ 列島の古代制度の復活だが、そもそもこれが唐の律令制統治機関に起源を持つ。
・太政官政府が編成した刑法「新律綱領」「改定律例」のモデルは、清律・明律・唐律であったし、19世紀後半においても中国の刑法典の論理的完成度は西洋を凌駕していた。
・朱子学における様々なテキストが、文字通り列島においてテキスト化したのは、18世紀末からであり、すでに19世紀前半には武士層および庶民層において、たとえ浅薄ではあってもテキスト朱子学は「常識化」を果たし、明治期に入り活版コストが下がると、ますます安価・大量にテキスト朱子学が全国に流通した。
・陽明学が表立って流行するのも徳川期ではなく明治期である。
・明治政府の公式文書の様式は、基本的に漢文脈和文であり、明治期の啓蒙思想家の文もみな漢文脈下にある。列島の文書様式において、和風「近代化」が継続的に試みられるのは、むしろ言文一致運動を嚆矢とする文芸の世界においてである。

4)明治期の「西洋的文明化」と「朱子学的文明化」の二重文明化が、前者に向けて一元的に清算されるのは、ようやく日清戦争と日露戦争の「戦間期1895-1904」である。

5)明治コンスティチューションは、いかにも西洋風だが、その基本ロジックは、徳川中期から存在した国家法人説やその変形バージョンの大政委任説と考えられる。

6)戦前軍部の宿痾である、現地軍の暴走や高級参謀レベルでの「下克上」は、近代組織の「法の支配」という統治原理とは明らかに異なる秩序に基づいていたと考えざるを得ず、そこでは徳川期の武家組織において「主君押込」を可能としていた「持分的秩序」(笠谷和比古)が優越していた。2・26事件や敗戦時の「日本の一番長い日」などは、明らかに「主君押込」の発想である。

 以上、作業仮説のオンパレードということでご容赦願いたい。

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