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2009年11月20日 (金)

ひとつの徳川国家思想史(1)

 尾藤正英は戦後の日本近世思想史、とりわけ徳川期の思想史研究において、丸山真男とともに決定的業績を残している。なかでも、丸山の提出した「モダンな」荻生徂徠像、および、それに対して尾藤が、国家主義の祖型としての徂徠像を提起したことは、現代の徂徠研究にも影響が大きい。

 尾藤の業績の中で近年は、論文集『江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代』岩波書店(1992年)が参照されることが多い。私も当ブログで幾度か触れた。思想家の稠密な個別研究というよりは、江戸時代の全体像を論じる大きな議論がその魅力となっている。

 しかし、ここで取り上げるのは、30年前の論文、「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13、近世5(1977)、である。表題が表題だけに古ぼけた印象や、幕末期の思想のみを扱っているという先入主を持たれてしまうことが多いだろう。その上、既に一世代古い岩波日本歴史に収載されているのだから、いまさらわざわざ引っ張り出して読み直す物好きは私くらいなものかもしれない。

 既に二度、当ブログでも取り上げ済みだが、改めて通読し直すと、その内容が、徳川期の国家思想史、ないし、王権思想の通史、となっていることに気付くはずだ。この論文の重要性はここにある。 (次回へ続く)

岩波講座日本歴史13(近世5)1977所収
内容目次
一 問題の所在
ニ 尊王攘夷思想の源流
 1 中国思想との関係
 2 前期における二つの類型
三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向
四 尊王論による幕府批判と幕府の対応
五 尊王攘夷思想の成立と展開

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