ひとつの徳川国家思想史(5)
■尊王攘夷思想の二つの類型
闇斎〔その国家を構成する個人(君主を含めて)の道徳的あり方を考察〕→朱子学
素行〔為政者としての政治的立場から国家の問題を考察〕→ 古学
「この後に発展する尊王思想ないし尊王攘夷思想は、先の二つの立場のいずれかを基本とし、もしくは両者の交錯の上に成立する。」(p.60)
■社会的背景(p.61)
①兵農分離による固定化された近世社会の身分制秩序
②寛文延宝年間に幕府政治や藩政が確立
※renqingコメント
上記②を詳細に言えば、以下のようになろう。
「一般的に見て十七世紀後半、元禄期までに大部分の大名家
で(大名家数で85パーセント、知行石高で55パーセント)藩庫から年貢米が支給される俸禄制へ変質し、自余の大名家についても制限的徴租権程度の知行権に限定され、実質的に藩庫支給の俸禄と大差ないものとなっており、このような俸禄制こそが近世的知行の典型であると見なされている。」
笠谷和比古『主君「押込」の構造』講談社学術文庫(2006)
、p.245
■闇斎と『葉隠』
「君主の行動が国家の利益に反すると考えられた場合には、臣たる者はどこまでも諌めなければならず、諌めても聴かれなければ、その君に代表される国家と運命を共にするか、あるいは君主個人の意思を無視してでも国家を保全するための行動に出なければならない。『葉隠』にいうところの「御家を一人にて荷申志」(聞書一)である。それは、大名家(藩)もしくは国家といった組織の内部に組み込まれた個人が、その組織に対立する意味での自由はもたないながらに、逆に組織の一員であることに徹して、そのことに自己の存在意義を見出し、個人としての主体性を確保しようとするような生き方の表現であった。」(p.61)
※renqingコメント
これらはまさに政治史的には、主君「押込」の構造(笠谷和比古)として史実に残るものと同じであり、上記のメンタリティは、はるか後年の昭和期、青年将校のクーデタ事件として噴出したものと同じである。
■素行と“統治術”
「・・・、素行の思想は、確立されてゆく幕藩体制の実態を、主として為政者たる君主(具体的には将軍または大名)の立場から観察し、この現実に適合した政治および道徳のあり方を探求しようとする関心にもとづいて、成立したものであったと考えられる。『聖教要録』などに示された学問の方法論が、「知」という客観的認識を基本としていたこと、またその学問の体系の中の大きな部分が、日本の古代(『中朝事実』)や武家時代(『武家事紀』)に関する歴史的研究によって占められていたことなどは、いずれも日本社会の具体的様相の認識が、素行にとって重要であったことを示している。このような認識の視点から、日本の武家政治の特質をなすものとしての武家の「勤王」という事実の意義に、注目しようとしたのである。」(p.62)
※renqingコメント
素行のアプローチは、意外に“社会科学的”であり、その志向は、“統治術”を目指すものといえる。なぜか。それは武家政権が、その政治責任を果たさなかった天皇、朝廷に代わって、易姓革命を通じて政権を掌握しているのだから、武家政権がその政治責任を果たせない時は、当然、新たな易姓革命が起きてもおかしくないからである。素行の志向を延長すれば、行き着く先は、統治のための社会工学(social engineering)であり、その同一線上にあるのが荻生徂徠と言うことになろう。したがって、古学派の流れを汲む尊王とは、「手段としての尊王」であり、「統治術としての尊王」と位置づけることができる。
また、18世紀末の後期水戸学派の藤田幽谷「正名論」なども、この「手段としての尊王」観を引き継いでいると考えられる。
次回に続く。
尾藤正英「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13、近世5(1977)所収
内容目次
一 問題の所在
ニ 尊王攘夷思想の源流
1 中国思想との関係
2 前期における二つの類型
三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向
四 尊王論による幕府批判と幕府の対応
五 尊王攘夷思想の成立と展開
次回へ続く。
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