徳川思想史と「心」を巡る幾つかの備忘録
■石門心学と陸王心学(陽明学)
手元にある幾つかの文献*を瞥見したが、石田梅岩の創唱したこの心学が陽明学に大きく依拠しているということはなさそうだ。表現手段として朱子学、陽明学、禅学を使用してはいるが、町人による、町人のための、町人の生活哲学という点にその意義があり、また、運動するスクールとしてのその特徴、すなわち学習する集団であり、社会貢献(ボランティア)を積極的に実践する集団であることが徳川思想史において特異かつ重要といえるだろう。
ただし、寛政期以降での、このスクールの社会的プレゼンスの大きさに関して、従来の思想史、ないし心性史において過小評価の気味があるようには思う。
*平石直昭・吉田公平・源了圓・竹中靖一・今井淳、など。
■「良心」と「conscience」
吉沢伝三郎の平凡社世界大百科事典「良心」の項によれば、明治初年以降、『孟子』告子章上の「良心」が、コンシャンス conscience (英語,フランス語)、ゲウィッセン Gewissen (ドイツ語)の訳語として定着するにいたった、とのことであるが、尾藤正英*や小島毅**によると、哲学・倫理学用語としての「良心」は、陽明学の「良知」に由来する、とされている。
日本国語大辞典「良心」の用例に、織田純一郎訳(1878年)『欧州奇事花柳春話』(Bulwer-Lytton, Ernest Maltravers, 1837)中の下記がある。
花柳春話〔1878~79〕〈織田純一郎訳〉五「縦令天性の良智良心あるも之を用ゆべきの期至らずんば」
うーん、寛政期以降、儒家テキストは爆発的に出版されて普及しているので、テキストとしての『孟子』は庶民レベルでも常識に属するだろうし、陽明学テキストもそこそこ知識人層には膾炙していたと考えられる。となれば、キリスト教文献・聖書、小説関連、哲学史、などの翻訳を通じて、儒家的概念である「良心」「良知」が、「conscience」に読み込まれていったことは十分首肯できる。
*尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書(2000)、p.225
**小島毅『近代日本の陽明学』講談社選書メチエ(2006)、p.122
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