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2009年12月19日 (土)

《祀る神》vs.《祀られる神》(2)

 まずは、五ヶ條ノ御誓文 - Wikisourceを一瞥して欲しい。

 この誓文だが、発布の形式に注目してみると以下のことが言えるだろう。

 天皇が「天神地祇」を祭り、「天地神明」に誓文の内容を誓う形式(木戸の案)である。ところがもともとの福岡孝弟(たかちか)の案では、諸侯が天皇の前で誓う方式だった。しかし、福岡案では、天皇が政治的君主であること(天皇親政)は内外に示すことはできるが、天皇が国家的祭祀の主体であること(天皇親祭)が表明できない。つまり、実施されたこの形式で、「祭政一致」、すなわち、天皇が「天祭」を通して窺った「天意」に即して、国民の公議を取ることが可能となる(坂本多加雄)。

 ただし、それだけではない。和辻哲郎の記紀神話分析によれば、神々を三つに分類することが可能であり、それは、《祀る神》、《祀られる神》、《祀り祀られる神》である。この三つの神々の中で、《祀り祀られる神》が最も尊貴といえる。なぜ、《祀り祀られる神》がその地位が高いか。それは、「神命の通路」だからである。この視点からみれば、天皇を表象するために、天皇にこの《祀り祀られる神》の地位を与えることが最も合理的と言えるわけだ。

※参照
《祀る神》vs.《祀られる神》

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