顕微鏡を覗き込む大蔵永常(20190613画像等追加)
大蔵永常。1768(明和五)年~没年不詳。徳川後期を代表する農学者。生前、夥しい数の本を出版している。代表作は『広益国産考』(1859・安政6)だが、ここでは他の興味深い本を二点取り上げよう。
『綿圃要務』1833年(天保4)刊。
文中に「顕微鏡」による、綿花の花粉のスケッチがある*。文中に「顕微鏡」なる語彙を使っているので、少なくとも当時の「顕微鏡」を使用したものであることは間違いない。現代の我々がイメージする類の顕微鏡と同じかどうかはわからない。当時、優れた顕微鏡製作はオランダが有名であり、徳川期日本にも輸入されていたらしいので、天保期の農学者が顕微鏡を覗き込んでいたとしても不思議はない。蘭学者渡辺崋山とも親交があったこともその線の予想を支持しよう。「江戸時代綿作の農書のうち最高水準の内容」とは、平凡社世界大百科事典での岡光夫評。
『農具便利論』1822年(文政5)刊。
徳川時代農具の最も詳しい実用的図鑑。簡単に言って、農業における労働生産性を向上させる道具の紹介である。明治以後も何回か印刷出版され、徳川農書中最も知られたものの一つ**。しかし、この書の注目は、他に2点ある。「本書記載以外のすぐれた農具を出版元に知らせてほしいとの呼びかけがなされ,こういう本は世界的にもめずらしいと評価されてきた」** ことが一つ。二つ目は、同書巻末に、農具の値段表があり、大坂の農具商による、カタログ販売ともタイアップしていたことである***。
大蔵永常の農学者としての本格的活動は、徳川19世紀前半。この時期に徳川の平民の中に、顕微鏡を覗き込み、自著で読者(百姓、この語は中国語なら
= common peopleの意 )に呼びかけ、その自著で農具商のカタログ販売と相乗りする、という人物がいた、という事実が重要だ。何しろ、米国Sears, Roebuck and Co. の郵便カタログ販売はこの半世紀後の1886年である。市場の存在を前提として、売買や販売を目的とする農業生産が行われ、現代の我々ともそれほど違和感のないビジネス感覚が浸透していた、といえるだろう。それは、K.ポランニーが言うところの市場社会に近く、私流に言えば、各人が己のbusinessに勤しむ business societyであった訳だ。化政・天保期の大衆化社会の経済的側面がこれであったわけである。彼らは頭に(我々がテレビ時代劇みるような)髷を結っていたかもしれないが、その内側のメンタリティは我々のかつての想像とは全く異なるということは、頭に入れておいたほうが良い。** この部分、平凡社世界大百科事典「農具便利論」項の筑波常治に負う。
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