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2010年3月19日 (金)

三島由紀夫『潮騒』(1954年)〔結語〕

 かつて網野善彦は、列島の歴史上、1960年を境に大きく社会の構造が変わってしまった、と発言した。それはすなわち高度成長という現象が、この列島のうえに生を営む社会を変えてしまったことを意味している。

 この『潮騒』はその徳川期から続くような、向こう側の歴史に連続する最後の局面を切り取った小説と言えなくもない。それだからこそ、今から見れば余計に民俗学的な叙述が目を引く結果ともなるのだろうと思う。

 「戦後」まもなく、朝鮮戦争をきっかけとするマッカーサーによる日本の再軍備が、「逆コース」として激しく非難された。つまり、戦前への道である。

 しかし、今考えてみると、戦前への道は歩んでいない。そのかわり高度成長による社会構造の転換が起きてしまった。つまりそれは、「逆コース」などではなく、「別コース」だったのである。

 戦後高度成長が不可逆的に社会構造を変えたのなら、近世初期、徳川17世紀の列島人口の倍増はやはり、列島の社会を根本的に変えたのではないか。 それは列島に「近世社会」を出現させてしまい、二度と戦国社会には戻れなくしたのだろう。そして、その目撃者であり、知識人としての証言が荻生徂徠の学で はなかったろうか。

〔参照〕
三島由紀夫『潮騒』(1954年)
三島由紀夫『潮騒』(1954年)〔承前〕

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