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2010年3月18日 (木)

CSKAモスクワ vs. セビージャ

 本田圭佑の1アシスト、1ゴールの活躍で、CSKAモスクワは、UEFAチャンピオンズリーグのベスト8に進んだ。

 詳細なマッチ・レポートは、下記UEFA公式サイト(日本語版)をご覧いただきたい。

UEFA.com - UEFAチャンピオンズリーグ 2010 - Sevilla-CSKA Moskva

 また、動画なら下記が便利。

【動画】本田圭佑FKゴール!セビージャ×CSKAモスクワ[CL]:YouTubeサッカー動画!【無料】

 概要は、上記のマッチ・レポートとダイジェスト動画で十分だろう。

 一つ気になるのは、上記UEFAのマッチレポートの選手評価では、先取点を挙げた、CSKAモスクワのネチドがベストの評価となっていること。日本人と しては、先取点のアシストと決勝点のフりーキックを決めたのだから、本田圭佑が最高評価となって当然と思われる。それなのに、なんで?、というわけだ。

 それはおそらく、26分の絶好の先取点のチャンスに入れ切れなかったことがマイナスにひびいているのか、と思われる。

 CSKAモスクワのゴールキックがセビージャのペナルティエリア付近まで届き、それをセビージャDFがヘッドでクリアすると、そこに丁度本田がいて、本田は、それをダイレクトで、ペナルティエリア正面左付近にいたワントップのネチドにパス。ネチドはセビージャDF三人に囲まれながらもタメを作り、その右側を本田がスルスルと走り抜けるところに、ネチドからタイミングとしては絶好のラストパスが来る。2秒間ほど完全なフりーだった本田だったが、ランニングのコースが少し遠まわりで、なおかつネチドのパスも少し弱かったため、抜かれたセビージャDFがあわてて足を伸ばしてくると、ボールへのアプローチが本田と の競争になってしまう。それでも一瞬速く本田の左足が届きシュートを打つが、それはセビージャGKの正面を突いてしまう。GKが弾いたボールは横倒しになっていた本田の元に返ってきたので、その体勢のまま、執念でもう一度シュートを試みるがゴール右を外れる。

 この攻撃は、セカンドストライカーとしての本田にピッタリのパターンで、ワントップが前線でタメを作り、敵DFがそこに吸い寄せられた隙に、二列目の本田がフィニッシュするもの。これはCSKAモスクワにとってこの試合最初の決定的場面だったのだから、本田にはそれを決める義務と責任があった。それは何より、本田にラストパスを送ったネチドが本田のシュートがGK正面を突いたとき、顔に手を当てていたことが率直に物語るだろう。

 それと対照的に決定機にしっかり決定したのが1点目のネチドのゴール。セビージャゴール付近の左からのスローインを受けた本田が、セビージャDF4人を引き寄せて、一瞬のタメを作り、ペナルティエリアゴール正面のネチドにラストパス。これを見事なボールコントロールで敵DFのいない狭いスペースに流し込み、コースを狙い済ましてゴール右隅に決めた。

 これで本田自身がFKで決勝点を挙げられたからいいようなものの、もし勝ち越されたりしていたら、敗戦の責任は、最初の決定機を外した本田にあったろう。ここら辺が、UEFAの本田評価を下げたものと思う。無論、FKを含め2点を挙げていたら最高評価になったろうことは言うまでもないのだが。

 23歳の本田は海外で活躍する日本選手としては若手の部類だが、ゴール前で落ち着き払ってゴールを奪ったネチドは20歳。調整が遅れ、本田の控えに甘ん じているが、ビッグクラブ移籍への話題が絶えないタレントのジャゴエフは19歳。そう考えると、ゴールが自分の持ち味だと公言する本田は、超一流になるために、持ち前のパワー、強さに加え、ゴール前での巧さをもっと鋭く磨く必要があるだろう。

 UEFAのサイトに本田自身の長いインタビュー(日本語)があるので参照されたし。

殊勲の本田、さらなる高みを視野に UEFA.COM上で

 また、決勝点のFKは本田が自己主張して蹴ったものではなく、チームメイトのゴンサレスに「お前が蹴るべきだ」と促されたものであることは、下記のコメ ント参照。

ゴンサレスの信頼に応えた本田 UEFA.COM上で

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