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2010年3月30日 (火)

支配の事実か、事実の支配か

 私はここ十年くらい「明治維新」は、薩長の軍事力による暴力革命政権であり、正当性の根拠は皆無、と考えてきました。そして、司馬遼太郎のような「明治」への懐メロ礼讃は、所詮、戦後の自民党一党独占政権と高度成長を正当化するイデオロギーとしてしか働かないと思っていました。

 その一方で旧徳川政権に果して統治の正当性の根拠があるのか、と自問すると、なんとも根拠薄弱のような気もしていました。

 ここにきて、坂野潤治氏の明治維新理解 に触れ、それと、かねて承服しながら、自分の中でどう位置づけたらよいか思いあぐねていた、渡辺浩氏の徳川権力の透徹した歴史社会学的分析「「御威光」と象徴 」、を繋ぐことによって、少し19世紀列島の政治的大変動を自分なりに筋道立てて考えることができるのではないか、と思いつつあります。

 渡辺氏は徳川家による一姓支配には、正当性などなかったと言います。戦国という1世紀に及ぶ列島の内戦を実力で終結させたという、支配の事実のみがあり、また2世紀になんなんとする治安の安定という、事実によって支配をしてきたというのです。無論そこには非常に巧みな統治のテクノロジーはありまし た。

 坂野氏は、19世紀の第二四半期あたりからの「公論」形成を重視しています。それまでの徳川氏一姓の統治ではすでに諸外国との対応には無理があるのだから、全国の諸大名、ないし諸雄藩の意見なりの、統治参画が必要になっているという、「公論」が形成され、それにどう対応するかが、徳川、反徳川双方に差し迫った課題としてあった。そして結果的に、その「公論」を担えたのは明治政権だった、と言うわけです。

 さて、すると18世紀末くらいまでは、徳川氏一姓による支配の事実によって徳川政権の屋台骨は支えられていたと思われます。しかし、18世紀の末、19世紀初頭になり、いわゆる儒学とよばれる政治倫理思想が、支配層である武家だけでなく、被支配層である百姓・町人にまで普及してくる。それは政治倫理思想である限りで、支配や統治の正当性の根拠を問い正してきます。ここで重要なことは、そういう正当性の根拠、という観念が身分を問わず分有されてき てしまったということです。根拠の種類は、そこに東照神君家康の事跡を持ってきてもよいし、無論、禁裏様を持ち出してもよい。そして19世紀中葉となる と、その中でも、幕末議会論(封建議会論)が有力化してきます。

 そのアイデアの言いだしっぺは、だれあろう、徳川政権側の大久保一翁なのですが、その意見は、徳川家内部では支持を得られず、かえって、諸藩の中に支持者を見出していきます。こうして、「正当性の根拠」を徳川氏側が構築できない一方、実態はどうであれ、薩長反幕勢力に、「正当性の根拠」として、禁裏、またその禁裏を中心として作られる封建議会論が握られることになります。

 支配の正当性のウェイトがこうして徐々に反幕勢力に傾き、そのため、明らかに軍事クーデタ政権である薩長連合政権は、「公論を担う」ことで国内の支持を徳川政権以上に集めます。 このようにして事実上、薩長連合政権は「支配の正当性」を獲得していきました。

 以上のように整理すれば、19世紀の列島における政治上の大変革をある程度整合的に理解できるのではないか、と考えています。いまだ、試論段階なので、もう少し論理と事実による穴埋めが必要だと思いますが。

*参照
坂野潤治+大野健一『明治維新 1858-1881』講談社現代新書(2010年)

治者であるがゆえに正しいわけでなく、被治者であるがゆえに正しくないわけではない(1)

治者であるがゆえに正しいわけでなく、被治者であるがゆえに正しくないわけではない(2)

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