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2010年3月27日 (土)

ひとつの徳川国家思想史(8)

「三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向」

■大政委任論の系譜(p.66)

①浅見絅斎(1652-1711、闇斎学派)、『識箚録』
「天子の御名代として、天下を東より御下知あるは、・・・正しき事也」
②山鹿素行(1622―85)、『武家事紀』(1673年、巻四五、武本)
「朝廷にカワリテ万機ノ事ヲ管領セシムルノコトワリナリ」

尾藤論文(p.66)
「・・・、いずれも将軍を天皇の代理人とみなしており、のちに本居宣長らが説いたような「朝廷の御任みよさし」(『玉くしげ』)、すなわち委任ということによって、幕府の存在を正当化しようとする考え方の先駆をなしていたのである。」

次回に続く。

尾藤正英「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13、近世5(1977)所収
内容目次
一 問題の所在
ニ 尊王攘夷思想の源流
 1 中国思想との関係
 2 前期における二つの類型

三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向
四 尊王論による幕府批判と幕府の対応
五 尊王攘夷思想の成立と展開

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