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2010年4月 3日 (土)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(4)

■容易ならざる書

 第七章まで読み終えた。う~ん、読み始めてすぐ、多少失望したことをこのエントリーの初回にこぼしていたのだが、ここまで読んできて、その語り口に変化があるわけではないが、少しずつ、これはひょとすると容易ならざることか?と感じ始めている。やはり本は読み終えてから論評すべきだったか。その反語的問いかけの繰り返しに、やや鼻白んでしまう時もあるのだが、それ以上に、直截な問いかけが読み手の心を揺さぶることは確かにあるとも思えるのだ。著者の今回の試みに対しては、もう少し時間が必要かもしれない。

■「自然は数学の(=人間の)言葉だけで書かれているわけではない」renqing

 下記は、少々物言いを付けたくなったので付言しておく。

「例えば、数学の真理は発見されたものだろうか。発明されたものだろうか。発見だとしても、事物の観察から発見されるわけ ではない。一体どこから発見するのだろうか。それとも、思考上の人工物、観念上の発明品、にすぎないのであろか。しかし、そうだとすれば、何故それが自然や宇宙の道具たりうるのだろうか。ガリレオの「自然は数学の言葉で書かれている」という言葉は未だに裏切られていない。だとすれば、数学とは、実は想起すなわち脳の内部に潜在的に存在するものの思い出しであって、同時に、脳の外部に存在するものの認識なのかもしれない。主体と客体とを峻別し、前者すなわち脳細胞の機能はもともと白紙だ、と決めてかかるわけにもいくまい。」
渡辺氏同書、p.133、第六章 隣国の正統、註(1)

 私も以前このblogで上記と似た話題で記事化したことがある。

「哲学の自然化」?

 上記の記事で、ポアンカレの言葉を引いた。それを再び引こう。

「 もし個人の経験が幾何学を創造することができないとしても、祖先からの経験ではそれができるということをよくいう。し かしそれはどういう意味であろうか。我々はユークリッドの要請を経験的に証明することはできないが、我々の祖先はそれをすることができたという意味なので あろうか。とんでもない。むしろ自然淘汰によって我々の理知は外界の条件に適応してきたし、またその理知が人類によって最も有利な幾何学、いいかえれば最 も便利な幾何学を採用したのだという意味である。それは我々の結論、すなわちユークリッド幾何学は真だというのではなく、有利だというのと全く一致す る。」
ポアンカレ『科学と仮説』岩波文庫(1985年) 、p.116

 蛾やハエは、航空工学も流体力学も知らないが、立派に空を飛び、あるいはホバリングしている。蛾やハエの世界認識は、その身体上の特徴に現われている。同じ空中を飛ぶにも蛾とハエではその原理を大きく異にしているだろう。そもそも、21世紀の現代でさえも飛翔動物の飛行原理についてよくわかっていないのだ。つまり、我々人間にとって数理科学的に解析できていない原理を蛾やハエは楽々と実現している。そして、彼らは数学を必要としていない。下記参照。

「蛾やハエが空中で静止したり、急旋回したりするのはなぜなのか。どんな優れた安定性制御システムを備えた飛行機でも一旦 失速すると直ちに墜落してしまうが、昆虫が突風の中を悠々と飛び抜けて決して墜ちないのはなぜなのか。我々は、空気力学のさまざま理論を蓄積し、ジャンボ ジェット機やステルス戦闘機を、統一された「定常理論」に基づいて設計できるようになった。だが毎秒20.600回も羽ばたく昆虫の羽がなぜ自重の2倍も以上の揚力を発生できるかについては、いまだに多くの疑問が残っており、理路整然と説明できる理論がないと言っても過言ではない。」
劉 浩「生物飛行のシミュレーションと小型飛翔体」日本流体力学会数値流体力学部門Web会誌 第12巻 第3号 2005年1月

 ただし、科学哲学者でもない渡辺氏にこんなイチャモンをつけること自体がお門違いかもしれない。


(5)へ続く。

読み終えた部分。

序 章 本書への招待
第一章 「中華」の政治思想――儒学
第二章 武士たちの悩み
第三章 「御威光」の構造――徳川政治体制
第四章 「家職国家」と「立身出世」
第五章 魅力的な危険思想――儒学の摂取と軋轢
第六章 隣国の正統――朱子学の体系
第七章 「愛」の逆説――伊藤仁斎(東涯)の思想

第八章 「日本国王」のために――新井白石の思想と政策
第九章 反「近代」の構想――荻生徂徠の思想
第十章 無頼と放伐――徂徠学の崩壊
第十一章 反都市のユートピア――安藤昌益の思想
第十二章 「御百姓」たちと強訴
第十三章 奇妙な「真心」――本居宣長の思想
第十四章 民ヲウカス――海保青陵の思想
第十五章 「日本」とは何か――構造と変化
第十六章 「性」の不思議
第十七章 「西洋」とは何か――構造と変化
第十八章 思想問題としての「開国」
第十九章 「瓦解」と「一新」
第二十章 「文明開化」
第二十一章 福沢諭吉の「誓願」
第二十二章 ルソーと理義――中江兆民の思想
あとがき

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