渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(6)
(5)より
■反近代の思想家・荻生徂徠
従来提出されてきた徂徠像は、「近代」的なものと反「近代」的なものとに大きく分けられる。渡辺氏の位置づけは、後者である。
荻生徂徠の思想の根幹は、ときに「近代的」と呼ばれる立場の逆、ほぼ正確な陰画である。すなわち、歴史観としては反進歩・反発展・反成長である。そして、反都市化・反市場経済である。個々人の生活については反「自由」にして反平等であり、被治者については反「啓蒙」である。そして、政治については徹底した反民主主義である。そういうものとして見事に一貫しているのである。
渡辺書、p.197
■徂徠学革命
徳川知性史における徂徠学の出現は、十八世紀の徳川日本のエピステーメー(知平線と言ってもよい)を変えた。
徳川儒学史は、彼の出現によって様相を一変する。彼以降は、朱子学者たちも徂徠学を意識している。いわゆる国学も、それに触発されている。その影響は深く、大きい。
渡辺書、p.177
衝撃的だったのは、朱子学の経典解釈(いわゆる新注)が間違っていると主張したこと。「宋儒古文辞を知らず」、つまり朱子らは、経典が成立した時代の文脈で経典テキストを解釈せず、己の時代の文脈で経典のテキストを理解してしまっているから、テキストの真意を捉えていない、と徂徠は言い放った。しかしながら、テキストの成立した国とは異なる異国、そして異なる時代に生きている徂徠がなにゆえ朱子より正確に経典を解釈できるのか。まず第一に、経典をその国の発音で読めるようにする(訓読ではなく)。すなわち現代中国語を学ぶ。そのうえで、経典成立時代の歴史を学ぶ。そして、「古」文で詩文を書いてみる。こうして古代の言葉を知識と実践で会得すれば、たとえ異国・異時代の人間(=徂徠)でも、朱子を超えて、「真実」の経典テキスト理解に到達可能となる。
■支配のエンジニアリング
徂徠は儒学を統治の技術学として純粋化する。そのため、儒学から朱子学的自然法(「である to be 」ことと「べきである ought to be 」ことを同時に実現している原理)を放逐する。
ただ朱熹は、「人物まさに行ふべきところ」、すなわち「理」がおのずから存在し、「聖人」がそれに「因」って「品節」したのが「礼楽刑政」だと考える。いわば、自然法とその具体化としての実定法との二段構えである。これに対し徂徠の「聖人」たちには、彼等を超越する規範はない。彼等の制定した実定法がすなわち「道」である。
渡辺書、p.181
■徂徠の認識論的転回を支えたもの
徂徠は13歳から24歳まで、生まれた江戸を離れ、所払いを受けた父親とともに房総半島に移住した。この経験は、徂徠に浦島太郎というか、タイムマシンの効果をもたらす。これが一つ。本書では明示的に触れられていないが、実はもう一つ、直接的な契機がある。徂徠四十歳における中国明代の李王のニ家による古文辞運動(のテキスト)との出会いである。つまり明儒との邂逅とそこからの方法論的啓示。大胆に言ってしまえば、徂徠は宋儒を明儒(の方法論の経学への転用)によって否定してみせたとも言える*。
■俳句と落語
徂徠が日本橋茅場町で私塾を開いていたときの隣人が、芭蕉の弟子、宝井其角であった。その其角によって徂徠は詠まれている。
梅が香や隣は荻生惣右衛門
徂徠は落語にも登場する。
徂徠(および徂徠学)が一つの社会現象だったことが伺われる。
■統治学としての徂徠学の影響力
統治学として徂徠学派は、公儀においてあまり影響力を得るに至らなかったが、全国の諸大名家で影響力をもっていた面**もあるので、一概に現実政治への影響力を低くは評価できないと思われる。
*中野三敏『十八世紀の江戸文芸』岩波書店(1999)、ニ-2「経学における明儒の風」参照。
**『日本の近世』13儒学・国学・洋学、中央公論社(1993)、4小島康敬「儒学の社会化」参照。
(7)へ続く。
読み終えた部分。
序 章 本書への招待
第一章 「中華」の政治思想――儒学
第二章 武士たちの悩み
第三章 「御威光」の構造――徳川政治体制
第四章 「家職国家」と「立身出世」
第五章 魅力的な危険思想――儒学の摂取と軋轢
第六章 隣国の正統――朱子学の体系
第七章 「愛」の逆説――伊藤仁斎(東涯)の思想
第八章 「日本国王」のために――新井白石の思想と政策
第九章 反「近代」の構想――荻生徂徠の思想
第十章 無頼と放伐――徂徠学の崩壊
第十一章 反都市のユートピア――安藤昌益の思想
第十二章 「御百姓」たちと強訴
第十三章 奇妙な「真心」――本居宣長の思想
第十四章 民ヲウカス――海保青陵の思想
第十五章 「日本」とは何か――構造と変化
第十六章 「性」の不思議
第十七章 「西洋」とは何か――構造と変化
第十八章 思想問題としての「開国」
第十九章 「瓦解」と「一新」
第二十章 「文明開化」
第二十一章 福沢諭吉の「誓願」
第二十二章 ルソーと理義――中江兆民の思想
あとがき
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