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2010年5月15日 (土)

マーシャル(A.Marshall)のスミス(A.Smith)批判

Alfred Marshall, Industry and Trade, 3rd ed., 1920

Appendix D: The English Mercantilists and Adam Smith (p.451)

And yet he is perhaps more responsible than anyone else for the belief, which long prevailed, that Mercantilism was a definite, unified body of doctrine; and that it worked mischief by inventing diverse shackles which hampered the natural freedom of trade.

〔要旨〕スミスは、重商主義が明確な統一的学説であり、貿易の自然的自由にたいする種種の拘束によって害をもたらしたという、長い間支配的であった、正しくない信念を広めた責任が大きい。

竹本洋・大森郁夫(編著)『重商主義再考』日本経済評論社(2002) 、p.216、注14より

 A.スミスによる重商主義批判、K.マルクスによるユートピア社会主義批判、M.ウェーバーによる「倫理」論文への反批判。これらに共通することは何か。

 その批判実行者が知的巨人であるため、後世の者たちが、被批判者の言説の内実を改めて吟味することなく、知的巨人たちの批判言説にただ乗りし(free ride)、「既に批判済みの~」といったような先入主を持ってしまうことだ。

 このスミスによる「重商主義」批判、マルクスの「科学的社会主義」からの「空想的社会主義」批判、などまさにその典型で、「重商主義」そのもの、 「空想的社会主義」そのものの吟味は歴史的に蔑ろにされてきた。私の個人的関心からすれば、イングランド資本主義がその根生いから王権ぐるみ、国家ぐるみ、であることがスミスの言説によって覆い隠されてしまったことが問題となる。日本における義務教育教科書レベルからして、「スミスに批判された重商主義」像が子どもたちの脳裏に焼きついてしまい、あたかも「資本主義」がイングランドの「自由」な土壌で初めて「自生的」に誕生したかのような犯罪的な見方 を刷り込まれてきたことには憤りさえ感じる。

 「資本主義」の素性を洗い出すためにも、我々の頭の中を支配している過去の言説を一度は自分なりに再吟味する必要があろう。

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