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2010年8月15日 (日)

佐藤誠三郎「幕末・明治初期における対外意識の諸類型」(1974)①

日本人が自国の国際的格付けにとくに敏感であり、自国の国際的地位を向上させることに強い熱意をもっていることは、しばしば指摘されてきた。

軍事力と経済力と「文明化」の度合いとは、明治維新期以降も、日本人が国家を格付づける場合の主要な基準であった。条約改正の一応の実現(1894年)と日英同盟の成立は(1902年)とは、日本が西洋諸国と対等になった証拠として熱烈に歓迎された。以後日本は世界で何番目の強国であるか、とういうことが、多くの日本人にとって切実な関心の的となった。日露戦争後には世界の「八大強国」の一員となったことが誇りをもって語られ、第一次大戦後にはその地位がナンバー5にまで(海軍力に関してはナンバー3にまで)向上したことが強調された。しかし他方、経済力や「文明化」の度合を基準にして格づけがおこなわれた場合、戦前の日本はとうてい一流国の水準に達しなかった。経済的に貧しく文化的におくれた「強国」という、この落差は、危機感や挫折感を生み出すとともに、向上への意欲をたえずかきたてたのである。
佐藤誠三郎『「死の跳躍」を越えて―西洋の衝撃と日本―』千倉書房(2009年)、p.30所収

 戦後の一時期、やたらと「自由世界GNPは米国に次いで第2位(ソ連を含めると3位)」とか、「鉄鋼生産量世界1位」「自動車生産量第?位」などと、小学生まで言えた時代が1970年代ぐらいまであったっけ。なんだ、戦前からそうなんじゃん、というのが正直なところ。

 この論文は重要で、渡辺浩氏の近著ともからむので、その点も含め、次回に書き継ぐ予定。

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