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2010年8月20日 (金)

幕末に列島の植民地化危機はない

保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機 -下関戦争の舞台裏-』吉川弘文館2010年

■著者の目的
 まずは、この記事最後の目次をご覧いただきたい。ライブラリー版、232ページの比較的小さな本に、この詳細を極めた目次。軍事史を専門とする著者が何を課題としてやりたかったのかは、あとがきに書いてある。

今さら欧米の侵略主義を強調するとは言われないだろうが、こういうテーマを扱っていると怖いのは、欧米だって悪いことをし ているんだという読み方をされることである。そういうつもりで書いているわけではない。自由貿易体制の維持拡大における軍事力の役割こそがテーマである。 (pp.227-8)

条約列強が採用した力の政策は、言うまでもなく、日本が他の東アジア諸国に乗り出していく際の手法になっていく。こうしたことを、あるがままに史料に即して具体的に叙述してみようというのが、とりあえずやりたかったことである。(p.228)

 著者の意図は、以下のことを、できるだけ英仏等の列強側の外交史料にも基づき叙述することである。幕末における日本への欧米列強の開国圧力とその目的、そのリアクションとしての国内の攘夷運動、それへの応答としての幕府の横浜鎖港政策、その最終的帰結としての下関戦争を、戦争前後の政治的プロセ ス・政治的帰結を含めて出来るだけ詳細にトレースして迫ること。

 換言すれば、幕末日本で行われた列強の一連の政治外交軍事政策が、いかなる意図・目的をもってなされ、その帰結を彼等がどう評価しているのか、ということを、特に、横浜鎖港問題・下関戦争を題材にしてミクロの視点から仕上げたケース・スタディ、である。

 そして、このことを通じて、幕末・維新期日本に植民地化の危機がどれほどあったのか、をさぐる手がかりにしようというもう一つの意図もあったようだ。

■内容

○イギリスの対日戦争シミュレーション
 本書の白眉は、下関戦争を想定した、イギリスの対日戦争シミュレーションの内容を史料に基づき明らかにしたところだろう。

 三つのケースに分けて、詳細に検討している(目次参照)。特にネックになっているは、ロジスティック、および費用の面である。したがって、英国の本音は下記のようになる。

このように、攘夷激派の大名が実力行使をおこない、中央政府たる幕府がさまざまな弁を弄しつつ鎖港政策を展開するなかで、 英国は対日戦争にそなえた対策を検討し、情報収集を進めていた。既存の通商貿易の擁護という点は英国の対日政策の根幹をなしていたが、少なくとも全面戦争は英国の利益にもならず、なるべくならこれを回避したいというのが英国側の本音であった。(p.160)

○下関戦争
 仕掛人は誰あろうイギリス駐日全権公使オールコックである。つまり、下関戦争はほぼ「オールコックの戦争」といってよい。彼のイニシアティブで起案され、4カ国連合に持ち込み、期待通りの戦果と、幕府からの譲歩(鎖港撤回)を引き出した。オールコックには本国から召還命令が下っ ていたが、最終的には結果オーライと評価され、翌年、北京駐在清国特命全権公使として栄転する。

■結語

本書では、日本側の史料だけでなく、英国を中心に条約諸国の側の史料を用いてマルチアーカイヴァルな分析につとめてきた。 条約列強の軍事的プレゼンスの実態、下関戦争の舞台裏でどのような動きがあったのか、戦争の真の狙いや戦争を正当化する論理について、多少とも垣間見ることが出来たのではないだろうか。(p.225)

■評価

 幕末の攘夷運動を最終的に挫折へ追い込む下関戦争。この幕末の一つの転換点に収束する国内外の政治・外交・軍事上の動きを、一つ一つ史料に基づい て裏づけ、チェックし、緻密に記述するさまは、堅牢な実証史学のパワーを目の当たりにするようで、さすがプロの史家の仕事と思わせる。今後、幕末政治外交史で、特に横浜鎖港問題、下関戦争に関しては基本文献となるものだろう。必読。

 ただ、私の関心は、この時期、列島上に欧米列強による植民地化の危機が実在していたのか、という1点に絞られる。著者はこの件に関し、見解を明示していない。この本から私が受け取れるものは、「植民地化の危機」はない、というものだ。軍事的危機は幾つもあった。しかし、軍事的危機と植民地化の危機は常に同じものではない

 例えば、マルクス主義史学では、この時期の「植民地化の危機」を強調する。その証拠として横浜における英仏軍の駐屯を挙げるのが常套手段だ。千名を超えるかなりの規模である。それではいったい、この英仏駐屯軍の目的は、徳川日本の植民地化か?

 そんなわけがない。横浜居留自国民および条約国民の生命・財産の保護、が第一の目的に決まっている。当時は攘夷の狂気に煽られた一部はねっかえりが実在し、それへの自衛手段である。逆に、もし貿易に従事する自国民の生命・財産の安全を守れない事態になれば、自由貿易(帝国)主義の建前はくずれ、本国政府は窮地に追い込まれるだろう。これが一つ。

 また二つ目に、下関戦争が当事者たちの思惑を超え、限定戦争の枠をはみ出すことがあったとしても、イギリスの対日戦争シミュレーションにみるように、ロジスティック的に頓挫する運命にあった。いずれ、休戦協定が結ばれただろう。戦争にせよ、植民地化にせよ、コストのかかるものであり、コストを無視して戦争をしかけるなどという能天気な主権国家政府は当時でもそうそうあり得ない。国家財政や戦争の規模がその百年前と桁違いなのだ。パトリック・オブライエンの比較計量経済史研究「海外帝国がヨーロッパ人にもたらした利益とコスト」(1998) において、ヨーロッパ本国諸国にとっては、ネガティブなコストが指摘されている。明治コンスティテューション国家の軍事的対外膨張も最終的にはこの海外膨張のコスト無視が躓きの石だった。

 公平に見て、因循姑息な幕府の非戦的態度こそが列島の安全保障の危機度を引き下げ幕末ドラマで活躍する薩長こそが列島の「民族的独立」を危機に陥れる張本人だっ た。

 ここに、政治における責任倫理信条(心情)倫理(Max Weber)を考えるならば、少なくとも列強との戦争を回避しようとした幕府にこそ責任倫理を見出せるのであり、薩長の与太話(攘夷論)は列島を軍事的危機に投げ込む信条(心情)倫理家的行動だったのである。これは、昭和期の陸海軍や戦争大好きおじさんたちの与太話(皇国は大東亜を統治する運命にある)と、国家を賭けの元手にするという点で、責任倫理の無さにおいて本質的に同じのものである。

〔参照〕危機と危機感


保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機 -下関戦争の舞台裏-』
吉川弘文館2010年(歴史文化ライブラリー289) ※章、節番号は引用者が付記
目次
プロローグ
 イギリス本国と極東日本/日英全面戦争の懸念

Ⅰ.外圧の構造
 1.幕末の「外圧」問題
   「外圧」をめぐる論争/日本の攘夷主義との対決
 2.東アジア情勢と自由貿易帝国主義
  自由貿易帝国主義/パーマストンと砲艦外交/駐日公使オールコック/蒸気船
  と施条銃砲/列強の軍事的プレゼンス

Ⅱ.攘夷主義と対外戦争の危機
 1.開国・開港と攘夷主義
  日本の開国・開港/アロー号戦争と日本/交渉条約か敗戦条約か/幕府の外交体制/初期外交と開市開港延期問題/相次ぐテロ・襲撃事件/英国の懲罰計画/生麦事件と賠償要求/英国の海上封鎖作戦
 2.幕府の鎖港方針
  幕府の方針転換/日英断交の危機/江戸は大騒ぎ/賠償金の支払い/鎖港要求の伝達/30日以内の外国人追放令/必死の幕府外交/列強の厳しい反応/「率兵上京」計画の挫折
 3.武力衝突
  攘夷令と砲撃事件/列強の報復攻撃/鹿児島戦争/三港鎖港から横浜鎖港へ/横浜鎖港の談判/談判使節の派遣/横浜鎖港の国是化/幕府への懐疑/日本有事の噂

Ⅲ.イギリスの対日戦争準備
 1.対日戦争シミュレーションの策定
  ミシェルの軍事メモダンダム/第一のケース:特定大名との戦い/第二のケース:攘夷派大名との戦い/第三のケース:幕府との戦い/ミシェルの懸案/軍団の輸送計画/海図局の追加情報/英国の手を縛るもの/武力行使は生命・財産の保護に限定
 2.対日戦争のための情報収集
  横浜居留地の防衛計画/長崎砲台の分析/箱館と蝦夷地/江戸湾の探査/対日戦争の情報収集

Ⅳ.下関戦争とその舞台裏
 1.下関戦争への途
  オールコックの帰任条件/横浜鎖港と天狗党/下関攻撃への途/下関問題は戦略的好機/喝破された戦争目的/英本国の危機感/鎖港談判使節への冷たい反応
 2.条約各国の思惑と対応
  フランスの変化/積極的なオランダ/米艦ワイオミングの任務/アメリカの国際戦略と対日政策
 3.下関戦争と国内政局の転回
  四国連合艦隊の出撃/下関戦争/オールコックの挑発的戦略/瀬戸内での示威行動/数字からみる戦争の諸相/鎖港要求の撤回/条約勅許へ

エピローグ
  砲艦外交/出先機関の言い分/イギリス本国の総括/幕府の鎖港要求と下関戦争

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コメント

fk さん

「敗戦のような破局的な結論がでても、時が経過すると元の木阿弥になってしまう」

敗戦時が、明治constitutionに巣食う無責任一味をつるし上げる最大の好機だったと思います。この時、日本「臣民」が対外的な贖罪の意識を持つことと、塗炭の苦しみを負った「臣民」たちが、天皇の名代である政軍の指導者たちにその「敗戦の結果責任」を徹底追及することが別であり当然必要なことであった、という認識が明確に広がらなかったことが問題だったように思います。GHQによる政官財マスコミの帝国パワーエリートの植民地官僚化で、温存されてしまい、言論も管理下におかれたことが決定的でした。

歴史に対する責任を明確にするには、歴史を「彼ら」のものから、「我ら」のものに取り返す作業が、迂遠なようですが結局効果があるように思います。私のごとき「蟷螂の斧」もそのためです。

投稿: renqing | 2014年10月 6日 (月) 00時02分

とても興味深い内容でした。私もこの本は読んでみたいので探してみます。
結論として書かれていました「薩長の攘夷論が列島を軍事的危機に投げ込む信条(心情)倫理家的行動だった」という一節が、現代日本において国権主義者たちの中国脅威論や原発推進派の原発稼働必須論と共通するものがあると感じました。
彼らに責任倫理の無さを痛感してもらうにはどうしたらよいのでしょうか。敗戦のような破局的な結論がでても、時が経過すると元の木阿弥になってしまうことが歯がゆいです。

投稿: fk | 2014年9月30日 (火) 01時46分

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