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2010年9月16日 (木)

徳川氏権力の基本性格

 約150年続いた列島史上最大の内戦、室町末期の戦国の世。この自力救済の時代を終息させたのが、織豊権力と徳川氏であった。

 

 

 実力(武力)による自力救済の抑圧・禁止。そして平和の回復。これこそが、これら近世権力の目標のアルファであり、オメガであった。それを最終的に達成したのが、徳川氏の権力というわけである。徳川氏は列島を覆う平和団体を作り出すことに成功した。それを私は「社会契約としての一揆」として解釈する。つまり被治者たちの同意が調達されていたと見るわけだ。

 その証拠に、武士たちの所有管理する以上の鉄砲が、村には「農具として」存在した*。それにも関わらず、村方騒動に鉄砲が動員された形跡は19世紀のある時期まではない。村方で暮らす人々においても、「平和団体」としての一揆契約を結んでいたと仮説しても不合理ではあるまい。250年以上、戦争ら
しきものがなかったという事実が人類史的にまれなのは、17世紀から19世紀の西欧が戦争で明け暮れていたことを思えば、一目瞭然だろう。少なくともこの一事において、同時代の西欧諸国家より、徳川権力のほうがよほどマシだった言えるのではないか。

 簡単に言えば、徳川氏は列島内の「平和団体の管理者」であって、統治者と厳密に言えるかどうかは、再検討の余地があるようにも感じている。

 こういう性格の権力が、それとは全く異なる考え・仕組みを有する西欧主権国家群と19世紀に邂逅したのである。徳川「公儀」政府が歴史から退場する運命にあるのは、その設立目的からして当然だろう。

 問題は、列島上にいかなるコモンウェルスを構築するのか、ということろにあった。史実としては、西南諸藩による「維新」によって新権力は作られた。これをいままで私は軍事力による「獲得によるコモン-ウェルス」だとばかり考えてきたが、少なくとも最初期の「政府」には、社会契約行為による「設立のコモン-ウェルス」の要素も濃かった、と考えたほうが自然なのではないかと今思い始めている。だからこそ、列島を二分するような内戦は回避された。

 二世紀半を超える「徳川の平和」を過小評価するのは、もういい加減やめたほうがよい。現代のグローバル・ヒストリー的見地からの再評価が必要だと思う。

*武井弘一『鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで』朝日新聞出版2010年朝日選書868

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