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2010年10月 7日 (木)

過去の擬似決定性と未来の選択可能性

 目前に複数の選択肢がある場合、人はそのうちの一つを選ばざるを得ない。

 私が駅から家までの道を歩くとき、広い表通りを歩くのなら、同時刻に狭い裏通りは歩けない。家にたどり着いて、その時点で帰宅順路を振り返ると、確かに一つの道を歩いていたことは明らかだ。しかし、だからといって、本日は広い表通りを歩く必然性があった、とはふつう考えまい。ところが、これがマクロで、長期の議論になると、意外に必然的に考えるものなのだ。

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 つまり、過去の一時点でも、複数の選択肢が存在していた可能性が高いにもかかわらず、選び取られた過去は一つ(unique)のため、事実を遡及すれば必ずやそれは一本道になってしまう。ここに歴史の決定性や必然性をみる陥穽がある。

 では、どんな条件が揃えば、必然性信仰に陥らずに済むのだろうか。その過去の一時点において、その歴史の当事者に、どのような選択肢が見えていたのか、を「理解」する。つまり、「何が起きたのか」と同時に「何が起きなかったのか」を、当事者たちの言動を手がかりに可能な限り再生してみること。しか し、これはなかなか至難の業だ。ある論者も言っている。

 奇妙なことに、意図されずにしかし実際に実現しているような影響と比較して、意図されてはいたが実現されなかったような社会的決断の影響の方が研究を必要としている。というのは、前者は少なくともそこにあるのに対して、意図されたが実現しなかった結果はしばしば過ぎ去るある時点において社会の行為者たちが表明した期待の中だけに見出されるからである。
アルバート・O・ハーシュマン『情念の政治経済学』法政大学出版局(1985) 、p.132

 彼(彼女)らには見えていて、歴史観察者には見えないもの。彼(彼女)らには見えないが、歴史観察者には見えるもの。この二つを識別しながら探ることが、歴史の真実をつかむための十分条件といえるのではないだろうか。

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コメント

わどさん

コメントありがとうございます。

>現在のイデオロギーに汚染された「目」

まず、過去の一時点における当事者に何が見えていたのか、が重要です。その当事者の持っている描像は、当然、その時点でのイデオロギー、思想、常識、等に《汚染》されています。
 そして、それでもよいのです。その上、その当事者の持つ世界に対する描像に、現代の視点から見て、欠陥や幻想、錯覚があっても全く構いません。なぜなら、それが当事者の行動の与件である限りで、当事者の行動の「動機の意味理解」に資するからです。かつて、アインシュタインの先駆者、ドイツ人物理学者エルンスト・マッハは言いました。「錯覚であっても説明はされなければならない」と。
 たとえ、どれほどのひどい幻想(信条倫理)に突き動かされていたとしても、それを与件として当事者が行動してしまえば、すぐさま、その行動そのものが、与件(=現実)に影響を与えてしまいます。
 幕末の長州藩による下関攻撃事件などは、狂気としか思えない行動ですが、このいかにも愚かな長州藩の行動も、四国連合艦隊による下関戦争を引き起こし、攘夷の現実的不可能性を満天下、に知らしめる効果はありました。

投稿: renqing | 2010年10月 8日 (金) 06時51分

過去・現在・未来の話題は、面白くて話がつきません。
たとえば未来を見つめる「目」に、10個の可能性が見えていたとしても、その数は現在のイデオロギーに汚染された「目」が生み出した物語(の破片)にすぎません。というわけで、未来は無限の可能性の中にあると考えられなくもありません。牢獄に捕らえられた罪人も、脱出の可能性を無限に持っていると考えるのは、ゾクゾクするほど刺激的です。ここには未来に向う私たちの「自由」が、問題として提出されているのでしょうか。
また過去も不思議な時間、事実の集積として立ち現れてきたりします。というのは、現在の「目」のあり方によって、その価値を変容させるからです。ときには、生じたはずの事実関係すら順序を変えて現れたりします。
こうなると現在の「目」こそがキーポイント、お前はいったい何を欲望しているのか、が過去も未来も決定づけていることになりそうですね。このお話は、幾晩かけてもつきません(笑)。また現代の哲学にとっても重大問題かと。

投稿: わど | 2010年10月 7日 (木) 12時43分

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