小さな知識と大きな知識
引越しをすると、生活が途端に円滑に進まなくなる。
「石鹸はどこに入れたっけ?」「メモ帳はどこにかたづけたんだ?」「カーディガンどこだ?」など。つまり、日常生活というものが、実は、その場その場の、具体的な、数え切れない《小さな知識》によって支えられていることが如実に実感できる。
一方、本などから学ぶことが出来る物理学とか哲学などの知識は、その射程は広大で深遠であるが、日常生活の足元の暗がりを照らし出してはくれない。日常生活の《小さな知識》に比べて言うなら、《大きな知識》と言い表すことができる。
以上を、例えば模式図にすると下記のようになる。
歴史(学)に関してこの議論を応用するつもりでいたが、時間がないのでここまで。そのうち後編をポストするつもり。
※参照、弊記事。
知の縮尺
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