「仏教」カテゴリーを新設しました
このところ、徳川日本における「仏教」の存在が気になっている。
徳川日本人の心性(mentality)を陶冶したものは、徳川期からインテリに蔑まれてきた*、《葬式》仏教だったのではないか。
こういう考え方は、末木文美士『近世の仏教 華ひらく思想と文化』吉川弘文館2010年② にて引用した尾藤正英の文献からも伺えるし、前回ポストした、渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(番外編) にも書いた。
そういえば、そういった関連の記事を過去幾つか書いていたことに気付いたので、ならば、と「仏教」カテゴリーを作成することにした。参考になれば幸甚。
*この批判の仕方は、徳川期儒者に代表される。なら、彼らも儒葬まで徹底すればよさそうなものだが、徳川期儒者は「死」の説明に対しては、神道を持ち出す。ところが伝来の神道に教義や理論らしきものはない。そのため儒者たちは《儒家神道》なるものを創出する。山崎闇斎の「垂加神道」しかり、林羅山の「理当心地神道」しかり。そして、この仏教批判を踏襲したのが国学者たちであり、彼らはその返す刀で、当の儒家思想をも批判の俎上に乗せてしまう。うーん、なんという歴史のアイロニー。そして多分に儒家神道的要素を持つ後期水戸学イデオロギーは維新期政治家たちに浸透し、明治初期の「神仏分離・廃仏毀釈」という《文化大革命》を引き起こす伏線となる。後期水戸学イデオロギーは明治アカデミズムの隠然たる正統派となり、批判的(葬式)仏教研究に引き継がれ今日に及ぶわけだ。
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