塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(3)
塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(2)、より
コンメンタール第2回目
プロローグ「複雑さの学としての経済学」p.3~p.24
の続きです。 次に、Weaver,Warren.[1948] "Science and Complexty"という複雑系研究のマニフェストとも言える論文に触れています。Weaverのこの論文は重要なものなので一度は直接文献に当たるべきもののようです(私は怠慢にも未見です!)。
Weaverは、ガリレオ以来の科学研究を概観して、科学研究の対象となる系を三つに分類しました。「単純な系」「組織されない複雑な系」「組織された複雑な系」、の三つです。そして、今後はその三つ目の「組織された複雑な系」こそがこれからのメインテーマだ、と述べています。塩沢は、この論文で自ら求めていた概念はこれだったのだ、と思ったそうです。
少しコメントすると、Weaverの時期には、まだ登場してなかったので仕方ないのですが、現在、数理科学で継続的に話題になっている、
chaos 系の研究は、この分類でいうとどこに入るのか、が少々気になるところです。系としては、決定論的系になりますから、第一分類の「単純な系」に含めるのが適当ではないか、と思います。すると、「単純な系」内部にも、「カオス系」と「非カオス系」というクラスを考えることが出来そうです。ただ、もう少し慎重に考える必要が有るかもしれません。
次に、経済学で「複雑さ」がいかに問題として発見されてきたか、の簡潔な史的サーベイです。1930年代の社会主義経済計算論争が議論の出発点であり、ハイエク、戦後のソ連経済、という具合に語られていきます。
ここで少し注意したいのは、言葉の問題です。通常、ロシア革命以降、共産党指導の下で、誕生した国家群を「社会主義」国家と呼ぶのが慣わしですが、正確に呼びなおせば、「マルクス主義国家」と呼ぶべきでしょう。ですから、先の論争も本当なら「マルクス主義経済計算論争」というべきだと私は思います。なぜなら、「社会主義」と「マルクス主義」がその起源を異にするからです。「社会主義」なる言葉自体が、マルクスの生まれる50年ほど前から使われていましたし、現代においてもマルクス主義と異なる「社会主義」は存在しますので。この問題は、ここでの議論とずれてしまいますので、「読後感or備忘録」のコーナーで機会を見て取り上げたいと思います。
また、「複雑さ」という事態に経済学が直面したのは、上記の1930年代の社会主義経済計算論争である、との塩沢の指摘には多少の留保が必要ではないかと,思います。実は、経済学の揺籃時代を代表する経済学者、Steuart,James(1712-1780)にも社会全体を精巧で複雑な機械と見なす視点があり、そのため政策担当者にとっての理論的視野は、ブラックボックスに対峙して操作可能変数を制御するような入力者、というような発想が見られるからです。これは、スチュアートに限る議論ではなく、大陸のモンテスキューやその他もろもろの「情念 vs.理性」といった18世紀当時の、共通の問題意識に関わりがあると思います。
といったところで、2回目は終了。
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