徳川社会の複雑化と吉宗(前編)
グローバルヒストリー的な視角から、列島史上最も優れた事績を挙げた政治家とは誰か。これは18世紀の徳川吉宗をおいて他にいまい。この人物がいかに時代に卓越していたか、検証するのがこの小論の目的である。
この人物を一言で表現するなら、啓蒙専制君主、となろう。彼は、傑出した君主であった。そして、吉宗をそうたらしめたものは、無論、吉宗の有能さもあるが、それ以上に時代が吉宗的君主を欲していたことが大きい。
徳川前期にもたらされた、社会全体の膨張。人口の増大、耕地面積の増大(社会全体の生産力の拡大)。三都を代表とする目覚しい都市の発達。これらはみな、一つのことに集約される。社会の複雑化である。それは当然、国家統治の困難さの急激な増大を帰結する。
この近世国家の変貌を目の当たりにしたとき、支配層はどう考えるか。典型的な反応は、国家における「秩序の喪失」である。すると、彼らの第一に目指すところは、「秩序の回復」となる。その際に、二つの思考経路がありうる。一つは、この秩序の喪失は人民の道徳の弛緩によるのだから、まずは徳の再建が 必要だ、というもの。他の一つは、この混乱は、支配の法と、国家の実態のギャップに起因するのだから、法の再建が必要だというもの、この二つである。
前者の代表が第五代将軍綱吉であり、後者の代表が第八代将軍吉宗である。こうして吉宗は、日本史上において初めて、法治国家を明確なビジョンとして持った君主として徳川の十八世紀に現れる。ただし、吉宗の国家ビジョンには、彼が紀州候であったことが深く関わる。
〔後編〕に続く
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