支配からマネジメントへ ― 啓蒙の系譜(綱吉・白石・吉宗) ―〔徳川史③〕
第五代将軍徳川綱吉は、列島史上初めて、それまで統治者の支配の客体でしかなかった民に、「徳」(儒教的な)を求めた君主である。
それは17世紀末の人口3000万人がもたらす複雑化した国家(秩序紊乱)を、人民の「徳化」で秩序回復させようとした試みであった。忠孝札(1681年)、服忌令ぶっきりょう(1684年)、生類憐みの令(1687年)、捨子禁止令(1690年)、人身売買禁止令(1699年)、といった一連の法令のベースにあるのは、《啓蒙》なのである。京儒・木下順庵を侍講としてスカウトしたのも、綱吉の学問好きからでたものだが、この人事は後世に深甚な影響を与えることになる(これは別稿とする)。
第六代将軍の家宣の下、侍講新井白石(木下順庵の高弟)の政治「正徳の治」は実質的に綱吉の衣鉢を継ぐものだった。しかし事態の進行はそれ以上のものであり、時代は統治のテクノロジー化、すなわち「社会工学 Social Engineering」を求めていた。そこに登場するのが、不世出の啓蒙専制君主、第八代将軍吉宗の「法治国家」構想であり、荻生徂徠の儒学の「政治算術 political arithmetic 」化(=社会工学化)であった。
〔参照1〕徳川史中期のキーパーソンである徳川吉宗については、別記事をご参照下さい。
徳川社会の複雑化と吉宗(前編)
徳川社会の複雑化と吉宗(後編)
〔参照2〕私の徳川史素描が一応完結している。ご笑覧頂ければ幸甚。
刀狩りはPKOである〔徳川史①〕
平和の配当 徳川前期のベビーブームと社会の複雑化〔徳川史②〕
支配からマネジメントへ ― 啓蒙の系譜(綱吉・白石・吉宗) ―〔徳川史③〕
徳川社会の自己調整 田沼ペレストロイカから寛政「紀律化」革命へ〔徳川史④〕
「ものいう人々」の登場 大衆社会としての化政期〔徳川史⑤〕
「世界史」との遭遇〔徳川史⑥〕
公儀から公議へ〔徳川史⑦〕
瓢箪から駒 誰も知らなかった「明治維新」〔徳川史 結〕
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