不足と行列の再生産
今般の一時的な、品薄・行列騒ぎを見ていると、ベルリンの壁崩壊前の、旧共産党指導下の東欧圏の行列の写真を思い起こす。また、70年前、大東亜戦争時、統制経済という名のマクロ計画経済下の皇国日本をも連想する。
何のことは無い。この両者は経済システムとして基本的に同じものだったのだから、現象が同じなのも無理からぬことだ。ハンガリーの経済学者コルナ イ,ヤノーシュはこれを「不足の再生産」と呼んだ。また、「ソフトな予算制約」(=社会主義計画経済)、「ハードな予算制約」(=資本主義経済)というカ テゴリー分けも行っていた。
しかしながら、現代日本の場合、産業社会として未成熟の旧社会主義圏や、その規模に対して明らかなオーバーロード状態の動員経済であった大日本帝 国戦時下経済に比べれば、高度で大規模な資本主義経済であるにも関わらず、なぜこのような「不足の再生産」がおきるのか。それは流通過程において、極力、 中間在庫を減らすトヨタ流の「かんばん方式」が普及したからだ。通常なら工場の現場や卸商に中間在庫があり、これが品切れリスクを緩和していた。しかし、 これは他面からみれば、在庫投資であり、その分の資金が寝てしまい、金利コストが発生する。この「かんばん方式」は、POSシステムなどと組み合わせて、 そういった流通過程のスラックを結果的に運送会社の運送過程へと転嫁する。
するとただでさえ中間在庫がない分、商品量がタイトになっているところに加え、ガソリンの供給不足も同時に発生したため、運送過程「在庫」も維持 できなくなった、というのが首都圏の現状だろう。「市場」メカニズムは急激な変化には適応しずらいが、中期的(半年くらいか?)にはその能力を発揮し、 徐々にその「ゆらぎ」を吸収し、品不足は緩和されてくるだろうと思われる。ただし、日本のような自然災害の比較的多い国情で、この「かんばん」方式を今後 とも維持できるのかどうかは、不透明といわざるを得ない。
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