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2011年5月12日 (木)

末木文美士『近世の仏教 華ひらく思想と文化』吉川弘文館2010年(番外編)

■「葬式仏教」で何がいけないのか?

 私が本書の存在を知ったのが、出版一ヶ月後のお盆の時季。すぐ、アマゾンで発注し、届いたその日で読み切った。しかし、読後感は、喜びと失望半々だった。

 嬉しかったのは、私のような門外漢にもアクセス可能な徳川仏教史ができた、と言う点。ガッカリしたのは、徳川日本における仏教心性史への記述があ まりないところ。「信仰の広がり」がそれに該当するが、今ひとつの感。庶民倫理としての仏教的心性の普及についての具体相の記述に期待していたのだが。

 近世・近代仏教は「葬式仏教」と蔑まされることが多い。そして、そういう仏教批判は、徳川期の儒家知識人や神道家の排仏論に出尽くしている。しか し、それは庶民倫理として徳川期に定着した「葬式仏教」への、インテリのルサンチマンにすぎない。なぜなら、「徳川の平和」260年を可能にした、近世日 本人のモデレートな庶民心性を形成したのは、儒教でも神道でもない、徳川期に事実上の国教となった「葬式仏教」であったことは否定しようもないからだ。

 嬉しい著作だが、隔靴掻痒の感は否めない。著者こそ《仏教の文明化作用》を論ずる適任者だと思うのでなおさらである。

〔以上、amazonレビュー投稿分〕

■参照を乞う
末木文美士『近世の仏教 華ひらく思想と文化』吉川弘文館2010年(前編)
末木文美士『近世の仏教 華ひらく思想と文化』吉川弘文館2010年(後編)

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