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2011年5月 5日 (木)

「歴史学は未来学である」 川北稔

 歴史学者川北稔氏が、2011年4月7日(木)、朝日新聞オピニオン欄に、東日本大震災について「歴史のいま」と題したインタビュー記事を掲載されている。私自身は既に大新聞も小新聞も読まなくなって久しいが、ありがたいことにこの含蓄深い記事全文をスキャンしてブログに貼り付けて下さっている方がいらっしゃる。下記。

★ 江戸時代……それも悪くない: Goeche's Blog

 全文を読まれるべきだと考える。が、重要なポイントだけ我流に箇条書きにしてみる。

①電力不足問題は、東京プロブレムである。したがって、この禍を福と転じるために、「むしろ企業や役所や大学の一部を「地方」に分散して東京の電力需要を減らすことが大事」だといい、これが「バランス回復の早道であり、そうすれば日本の姿もいくらかよくなる」と指摘する。

②近代世界システムは、18世紀ロンドンのように「政治・経済・文化すべて」を「一極に集中」させた。一方で、「当時の世界システムの外にあった日本では、政治=江戸、経済=大坂、文化(権威)=京と中心が三つの都に分かれていて、安定した、いいかたちだった」のに、「開国後、世界システムに巻き込まれるなかで日本も一極集中が進んでいった」。

③日本は、1755年リスボン大震災後のポルトガルのように徐々に没落するのかもしれない。「ただし、それが不幸かというと、話は別」だ。「ある意味で安定し、人々は幸せな人生を送」れるのではないか。「もっとも、それを「安定」と受け止めるためには我々の価値観、メンタルな部分が変わる必要」がある。「中国に追い越されてしま」うだの、「東アジアの盟主の地位が危ない」だのという、No.1症候群=成長パラノイアから脱却しなくては、「被災後」を「うまくやっていくこと」などできないだろう。

 ①は、この記事の前にポストした記事の中で、石橋神戸大名誉教授が述べていた、「そもそも日本列島に居る限り、地震と共存する文化(文明)というものを確立しなければならない」という発言と、期せずして符合するものがあるだろう。

 ②は、近代世界システムにおいては、西欧主権国家と植民地、という《中核-周辺》構造が、巨大首都(ロンドン、パリ、ベルリン、東京etc.)と「地方」、という国家内《中核-周辺》構造に、再帰的に投射されることを我々に気付かせてくれる。「江戸」が「東京とうけい」となり、「禁裏様」が「大元帥閣下」となって、高御座(京都御所紫宸殿)が「宮」ならぬ「宮城」(古来、禁裏は城などに起居しない)に移されたこと*は、明治の権力ブローカー達が、自覚せずにこの列島を近代世界システムにプラグ・インした瞬間だったと解釈できる。

*参照 和辻哲郎「日本古来の伝統と明治維新の歪曲について」(2)

 ③この点、下記のブログ記事とその賛同者を見ると、「朝まで(アホ)テレビ」のシンボリック・エリートやマスコミ人種の中に皆無でも、市井の中には膨大な(潜在的)支持者がいるのではないか、と希望が感じられる。

バイバイ原発: かわうそ亭

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コメント

人間には尊卑があるという人がいるけど、
その尊卑も歴史によってもたらされたものが
多いのでは。

投稿: 古川浩一 | 2012年8月 9日 (木) 17時19分

江戸時代、なぜ日本は資本主義化しなかったか、との
ことですが、浅学ながら、江戸時代の起業とその
ビジネスの発展は武士たち、権力によってにらまれてた、
ということはありませんか。
実際、豪商とかはいたわけですが、それらが資本主義化
につながらなかったのは、起業とそのビジネスとしての
発展、日本の自由経済化に武士たちが、身分社会を
おびやかすものとして警戒していたからということは
ありませんか。
鎖国で市場が小さかったとか、間引きとかおこるほど
経済自体が弱かったとか、も考えられると思いますが、
実際、明治維新で徳川の世が終わって、最初に
行われたいくつかは、四民平等であり廃刀令でした。
やはり、それから考えると、自由経済が、身分制度を
おびやかすんじゃないかという武士たちの懸念が、
江戸時代の資本主義化をさまたげた大きな要因の
ひとつではなかったでしょうか。

投稿: 古川浩一 | 2012年8月 3日 (金) 16時24分

足踏堂 さん、どうも。

追記1.了解。ご連絡をお待ちしてます。
追記2.はい、一応対応しました。しつこくないとよいのですが。

投稿: renqing | 2011年5月 6日 (金) 13時28分

またもやご無沙汰しております。

今回の件は、近代という〈制度〉の弱点が見えた出来事だったかもしれません。
私はモダニストですし拙速なダメだしはもちろんしませんが、それでもやはり、「〈制度〉運用」が当初予定されていた理念とは隔たっているとの感が否めません。

私には明らかにおかしいと思える東京一極集中も、「東京がダメになれば日本がダメになる」という、どう考えても場当たり的な言説に掻き消され、守旧派を温存させるだけが存在意義たる現職が都知事に再選されたりしています。(復興のためには福島に国会を移転するのが良いと私は思うのですが。)

また、ウィキリークス絡みの政府の反応を見ても、「政治」が結局のところ「国民操作術」でしかないのではないかという疑念を抱きます。

(東電を表象とする)大企業にとって有利な法律=制度をつくり、そこに利権を集めることで、自分達が甘い汁を吸い続けるという構造づくりは、当初民主主義を求めた人類の輝かしい理念の欠片もありませんが、むしろ現代における「政治」の定義と言えるかもしれません。

「政治=経済」学であるはずの学問が、「政治を経済的に運用する」学問に変わっている現状も感じられませんか。

renqingさんも幾度か取り上げられていましたが、「経済学」という学問(=現代の呪術)が、近代を変質させる上で大きな役割を果たしているように思えてなりません。経済学のいう「厚生」が、一般的な意味における「厚生」とどれだけ隔たっていることでしょうか。

今回の出来事と川北先生の視点は、経済学的呪術に毒された「近代の野蛮人たるわれわれ」の目を少しだけ醒まさせてくれるものだと期待します。

ただ、renqingさんが末尾で語られるほどの楽観が私には持てないのですが。


追伸
1.最近の貴記事を拝読し、改めて、「学問すること」の重要性を感じています。もし、お時間合えば、都内のどこかで勉強会でもできませんか。別途メールもいたします。
2.わけのわからない貼付けコメントがありますが、ちょっと感じが悪いので、お手数ながら削除してくださると有り難いです。

投稿: 足踏堂 | 2011年5月 6日 (金) 11時09分

noga 様、長文のコメントありがとうございます。

拝読致しましたところ、弊ブログ記事との関連性が私には皆目わかりませんでした。
別に、強烈な批判であっても、私としましては歓迎なのです。闘争はコミュニケーションの一形式ですから。
しかし、どれほど優れた言説であっても、弊ブログ記事との関連性の分からないものは困ります。
恐縮ではございますが、オリジナルな御高説はnoga様ご自身のHP、ブログで開陳して戴けますようお願い申し上げます。

投稿: renqing | 2011年5月 5日 (木) 19時58分

我が国には、初等教育はあっても、英米流の高等教育はない。
だから、日本人は、「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」の状態になっている。

日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。主体性がない。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと生活している。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年5月 5日 (木) 10時40分

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