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2011年10月 9日 (日)

山口啓二『鎖国と開国』2006年 岩波現代文庫 (20180213追記)

 本書は、個人が著した江戸時代通史として、圧倒的な内容量と詳細さが特徴。そのうえこのボリュームにコンパクトにまとめてあるので、なかなか難解。これを書評するのは素人には無理だろう。プロの史家でも自分の専門外の部分までも評さないとならないので、二の足を踏むのではなかろうか。

 ということで、詳細な書評は後日に期す。ただし、私が目論んでいる「徳川文明史」には大きな修正点を要求する部分があったので、備忘録として残しておこう。

 徳川17世紀は高度成長の時代だった。それは、人口爆発と大開墾ブームによって象徴される。いわば「列島改造」の第一波。しかし、その高度成長を支えたものが、何なのかについて、私も少々検証が足りていなかった。単純に、耕地の拡大と人口の成長、という双対的な成長軌道に乗ったから、というイメージだった。 しかし、本書の第一講により、そこによりマテリアルな根拠がありそうだと認識を改めた。二つある。

 精錬革命と製鉄革命。徳川17世紀、日本が銀の産出量において世界有数だったことは既に多くの指摘がある。そこには採掘技術、精錬技術の進歩があった。それにともない、製鉄技術にも生産性の上昇という意味での大きな技術革新があった。その17世紀徳川日本に与えたインパクトが、耕地面積30%増*、人口2倍、という前近代社会において破天荒な経済成長だったわけだ。この巨大な変動が徳川日本を列島史において全く別の社会に移行させた。それはもう後戻りできない甚大な影響だった。それを私は「modernization(近世化 or 近代化)」と評価する。その実物的な論拠を本書が示してくれている。

 結局、徳川日本は260年ほどをかけて、列島社会の modernization の様々な可能性を試していたとも言え、人類社会に、modern
society の一つの史的な範例(モデル)を提供した。そこに人間の持ち得るあらゆる悪徳が潜在していたとしても、である。そんなことは西欧社会においても応分にあったことだからだ。

*とんでもない勘違い。申し訳ありません。数量経済史では、17世紀の百年間で、耕地面積30%増加でした。それでも凄いデータですが。今後気をつけます。4倍は、歴史人口学上の推計のなかに、そういうものがある(速水推計)ため、それと間違えました。

20180213追記。以下、目次の前段まで、本ブログの他記事の一部です。本記事に転記しておくべきと判断。引用しておきます。(年頭所感(2014年) より)

■山口氏のその『鎖国と開国』(2006年)につき、若干のコメントを書かせて頂いてある。本書の記述は非常に密度が濃いので、いまだにまともな書評が書けないままずるずる今日に至っている。ここで罪滅ぼしに印象深い記述を一つだけ記しておこう。それは参勤交替に関する解釈である。引用する。

「江戸時代のごく初期には、大名は参勤、すなわち家中の軍勢を率いて江戸に詰めており、幕府が帰国を許すまでは国に帰れませんでした。そのために大名は経済的にもたいへん困りました。それで、元和偃武で戦争がなくなった結果、寛永十二(1635)年の武家諸法度で参勤交替制が規定され、半分ずつ帰国することが許されました。最初は外様大名だけの特権として許され、寛永十九(1642)年から譜代大名にも及ぶことになりました。参勤交替とは、大名をコントロールするため、あるいは大名の財政力をそぐために、寛永時代に設けられた制度であるというふうに教科書等に書いてありますが、これは逆だと思います。」
山口啓二『鎖国と開国』2006年 岩波現代文庫版(P.109)

すなわち、参勤という戦時動員システムを平時に部分解除したのが参勤交替制度の公的意味だったというわけだ。つまり帰国できることが特権だったということになる。徳川の家臣たちは、動員された軍隊のルールとしてボスの近辺に参勤する義務が当然のものとしてある。それを特別に半分ずつ解除してやった、ということ。見ている現象は同じでも、当事者達がその現象に与えている意味と現代日本人が与える《合理的》解釈が全く異なる好例だろう。これこそ歴史研究の困難と醍醐味だと思える。本書からより深く学ばなければならないと思う。

山口啓二『鎖国と開国』岩波現代文庫(2006年)

目次
    はしがき
      はじめに――院内銀山の人たち
第一講 「鎖国」――地球的世界の形成と近世日本の対応
第二講 近世の武家政権と伝統的権威
第三講 支配組織と再生産構造
第四講 幕藩体制下の政治史
第五講 思想と文化の特質と展開
第六講 幕藩制社会の変質
第七講 開国――近代日本への道程
      解説(荒野泰典)

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コメント

ヒルネスキーさん、コメントありがとうございました。

トッドの業績は瞠目に値するもので、私も以前から注目しております。その鋭いシェーマには魅惑されますが、ただ、私としては、M. Weberの業績と同じで、利用できるものは積極的に使わせて戴く、というスタンスです。

トッドに関しては、以前より関連記事を書いておりまして、下記記事などにコメントして戴けていたらより好都合だったやに思われます。

識字化・革命・出産率低下(1)
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2009/10/post-5ce8.html

お時間があるとき、本ブログの右サイドバー下部にあります、検索ウィンドウをご利用いただけますと、嬉しいです。

投稿: renqing | 2011年10月24日 (月) 00時00分

どの項目のコメント欄に書けばいいのか分からなかったので最新のここにと思い書いているのですが、エマニュエル・トッド氏の著作とその論点がWikipediaにほぼ網羅されていたので紹介させて下さい(驚きました……)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89

投稿: ヒルネスキー | 2011年10月21日 (金) 12時05分

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