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2011年11月10日 (木)

徳川社会の自己調整 田沼ペレストロイカから寛政「紀律化」革命へ〔徳川史④〕

 徳川18世紀は、前世紀とうってかわり、総人口は一定に保たれ、耕地開発も頭打ちとなった。言わば、拡大し複雑化した社会という身体にあわせて、社会各所で調整が始まったのである。しかし統治身分である武士の窮乏化は一旦小康を得るが、社会規模に見合う都市化・市場経済化と、徳川国家のコンスティチューション(基本法)である石高制との齟齬は、深まるばかりだった。ここに登場した田沼意次政権は、徳川国家の二つのフロンティアを設定することで、この事態の乗り切りを図る。国土開発と対外貿易黒字である。しかし、この実質的な徳川コンスティチューションの変更は、松平定信を担いだ反革命によってあえなく潰える。


〔参照2〕私の徳川史素描が一応完結している。ご笑覧頂ければ幸甚。
刀狩りはPKOである〔徳川史①〕
平和の配当 徳川前期のベビーブームと社会の複雑化〔徳川史②〕
支配からマネジメントへ ― 啓蒙の系譜(綱吉・白石・吉宗) ―〔徳川史③〕
徳川社会の自己調整 田沼ペレストロイカから寛政「紀律化」革命へ〔徳川史④〕
「ものいう人々」の登場 大衆社会としての化政期〔徳川史⑤〕
「世界史」との遭遇〔徳川史⑥〕
公儀から公議へ〔徳川史⑦〕
瓢箪から駒 誰も知らなかった「明治維新」〔徳川史 結〕

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