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2011年11月10日 (木)

「世界史」との遭遇〔徳川史⑥〕

 徳川「公儀」権力は、十九世紀初頭には、内外二つの圧力にさらされていた。内からは「ものいう人々」との対峙。外からは、西欧列強からの通商要求である。
 十七世紀、十八世紀は、列島の統治者にとって「鎖国」を選ぶことができる時代であった。軍事力の点からいっても、資源輸入の必要性からいっても。しかしその「徳川の平和」二百年間において、西欧列強は財政=軍事国家化によって戦争遂行能力を獲得し、蒸気機関をはじめとするイノベーションによって著しくコミュニケーション・パワーを高めた。十九世紀における「御公儀」には、彼我の軍事力の差のため、段階的「開国」でしか対応できない状態であり、「鎖国」というオプションは事実上存在しなかったに等しい。


〔参照2〕私の徳川史素描が一応完結している。ご笑覧頂ければ幸甚。
刀狩りはPKOである〔徳川史①〕
平和の配当 徳川前期のベビーブームと社会の複雑化〔徳川史②〕
支配からマネジメントへ ― 啓蒙の系譜(綱吉・白石・吉宗) ―〔徳川史③〕
徳川社会の自己調整 田沼ペレストロイカから寛政「紀律化」革命へ〔徳川史④〕
「ものいう人々」の登場 大衆社会としての化政期〔徳川史⑤〕
「世界史」との遭遇〔徳川史⑥〕
公儀から公議へ〔徳川史⑦〕
瓢箪から駒 誰も知らなかった「明治維新」〔徳川史 結〕

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