公儀から公議へ〔徳川史⑦〕
豊臣氏を斥けて以降二百余年間、徳川「公儀」権力は、真の政治的挑戦を受けることはなかった。しかし、十九世紀に入り、否応無く西欧列強という挑戦者に直面することとなった。換言すれば、「一揆」という社会契約を通じて、徳川「公儀」権力に間接統治されていた日本列島の住人たちは、直接統治する「主権」とそれを代表する権力機関を創出する必要に迫られたのだった。「ものいう人々」からの藩境を越えた行政への需要は「世論」となり、列島の海岸線の防備を実際に担う有力外様大名や武士たちからの政治的意思決定へに参画要求は「公議輿論」として徳川「公儀」権力を揺さぶり続けた。自己改革(天保の改革)を試みるも、ついには誰一人をも満足させることが出来ず、徳川権力はその「公儀」性を剥奪され「私」権力となり、空中分解を迎える。
〔参照2〕私の徳川史素描が一応完結している。ご笑覧頂ければ幸甚。
刀狩りはPKOである〔徳川史①〕
平和の配当 徳川前期のベビーブームと社会の複雑化〔徳川史②〕
支配からマネジメントへ ― 啓蒙の系譜(綱吉・白石・吉宗) ―〔徳川史③〕
徳川社会の自己調整 田沼ペレストロイカから寛政「紀律化」革命へ〔徳川史④〕
「ものいう人々」の登場 大衆社会としての化政期〔徳川史⑤〕
「世界史」との遭遇〔徳川史⑥〕
公儀から公議へ〔徳川史⑦〕
瓢箪から駒 誰も知らなかった「明治維新」〔徳川史 結〕
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