資本主義の生成と都市化
川北稔は、その著書でこう述べている。
これまでの経済史では、近代的な経済成長の開始は、おおむね工業化の「もう一つの顔」ように見られてきました。しかし、事を生活文化という観点から見れば、つまり、消費の側から見れば、成長を推進してきたのは、都市化そのものなのです。川北著、p.82
つまり、
《都市化は生活必需品・消耗品を商品化させる》
《消費の中心が「貴族の大消費」から「庶民の小消費」へ移行する》
《経済成長》 ⇔ 《資本主義化》
という図式になるだろう。これに対し、理論経済学の側から、都市規模と経済成長との関連を考察しているのが、下記の塩沢論文である。特に、その「1.経済成長はいかなる過程か」が、歴史を考察する立場から参考になる。
私の関心からいえば、「都市化」も「庶民の小消費」化も進んだのに関わらず、徳川経済が資本主義化しなかったのはなぜか、ということになる。すぐに思いつくのは、《自由貿易》の有無である。つまり、西欧において《自由貿易》が資本主義化をいかにドライブ*し、徳川日本において《鎖国=管理貿易》がどのようにしてその資本主義化を抑制したのか、が問題となる。これは、現代の我々にTPP問題を、嫌がうえにも連想させるだろう。これらの点については、別稿で考えてみることにする。
*この点については、このブログでも幾度か触れてきたが下記が参考になる。
玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスへ』講談社選書メチエ(2009年)
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コメント
塩沢由典 様
コメントありがとうございます。
リンク切れは気付いていたのですが、塩沢さんのサイトにもそれに類するファイルが貼り付けてなかったので、そのままにしてありました。助かります。
早速、再リンクを済ませました。
投稿: renqing | 2015年5月20日 (水) 02時13分
本文で紹介されている「需要制約下の産業多様性と成長可能性」は、大会開催校の都合でリンク切れとなっています。
せっかくの紹介が無効ですし、わたし自身もなにを書いたか、すぐには思い出せませんでした。表題をもとにわたしのPCを探してみたら、原稿が出てきました。PDF化して、わたしのホームページに公開しました。
http://www.shiozawa.net/ronbun/IndustrialVariety2011.pdf
公式ホームページ>論文>需要制約下の産業多様性と成長可能性
です。リンクをつなぎなおしていただければ幸いです。
この報告の核となったのは、塩沢由典『関西経済論/原理と議題』の第2章第8節「都市の規模と事業化の可能性」です。
投稿: 塩沢由典 | 2015年5月19日 (火) 21時18分
>たとえばオランダのマウリッツ公による軍事教練や射撃手順のマニュアル、といった規格化は16世紀終わりに始まっています
>ヨーロッパでの恒常的戦争状態は有効需要や金融はもちろんですが、生産様式や流通にも大きな影響をおよぼした
ご指摘の通りです。この事情を、現代の西洋国制史では下記のように表現しています。
「社会的紀律化(Sozialdisziplinierung)」
《社会的紀律化とは、近代ヨーロッパの成立過程を「紀律 (disciplina)」」の深化と拡大という観点から描き出した概念である。類似の概念としてはマックス・ヴェーバーの「合理化」やノルベルト・エリアスの「文明化」があるが、これらは社会経済的諸関係の長期変動のプロセスを外在的・社会学的に記述したものであった。
これに対して、社会的紀律化の概念的特徴は、客観的要素にとどまらず同時代人の意思や行動といった主観的要素までも含めた形で、政治・経済・社会・文化のあらゆる局面で進行した秩序形成と自己抑制のプロセスを内在的・歴史的にとらえようとする点にある。その意味において、社会的紀律化の概念は、精神史・国制史・社会史を綜合し、国家権力から中間的諸権力をこえて民衆の心性までも射程におさめた包括的な分析枠組といえる。》
勝田有恒/森征一/山内進編著『概説西洋法制史』ミネルヴァ書房(2004年)、p.226
これは、30年戦争で一旦崩壊した西欧の社会秩序を回復せんとする強い志向から生み出されたものです。下記、弊記事もご参照ください。
近代西洋、その力の根源
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2009/05/post-cbb4.html
西欧資本主義も、《明治維新》と同様、「瓢箪から駒」ともいうべき、選択的親和性(elective affinities)の累積の中から結果的に登場したと評価すべきでしょう。
投稿: renqing | 2011年12月25日 (日) 01時27分
銃などは確かにそうですが、たとえばオランダのマウリッツ公による軍事教練や射撃手順のマニュアル、といった規格化は16世紀終わりに始まっていますし、もっとローテクな軍服や携行食糧の大量調達、造船所などでの生産の組織化も、ゾムバルトによれば18世紀までに西欧全体を覆っています。コルトなどのアメリカ的大量生産は、むしろその最終形態にあたっているのではないでしょうか。
ヨーロッパでの恒常的戦争状態は有効需要や金融はもちろんですが、生産様式や流通にも大きな影響をおよぼしたと私は見ています。
投稿: まつもと | 2011年12月24日 (土) 09時10分
まつもとさん
規格品の大量生産、というと武器、特に銃などが思い当たりますが、例えば互換性部品の登場による銃の大量生産が始まるのは、19世紀中ごろの米国です。常備軍の登場と恒常的な戦争によって大量生産の必要性は当然高まりますが、大量生産の技術がそれに伴うには、タイムラッグが100年ほどあります。
それからすると、18世紀の常備軍、恒常的な国家間戦争がもたらしたものは、莫大な有効需要のほうで、それを供給サイドから支えたのは、都市雑業、すなわち首都に流れ込んだ膨大な人口と推定できます。
徳川期は有閑武士の有効需要、18世紀西欧では軍需が、大都市を支えていた。あるいは、大都市がそれらを支えていた、と考えられます。
投稿: renqing | 2011年12月23日 (金) 13時42分
株の初心者の資金さま、コメントありがとうございます。
実際のbusinessに携わっている方にそう言って頂けますと嬉しいです。なにがしかのヒントになれば幸いです。
投稿: renqing | 2011年12月23日 (金) 13時27分
この件に関しては、ゾムバルトやマクニールの戦争と社会に関する考察を思い出しました。江戸時代の日本には規格化された正規軍が存在せず、また万単位の兵力が恒常的に戦争を行なう西欧のような状況がなかったために、規格品の大量生産やそのための合理化・大規模化があまり進まなかった面はあると思います。それゆえに田園都市化はしたけれど軍事基地化、あるいは軍国化が起きなかったのではないでしょうか。もちろん、自由貿易によって輸出品などの規格化・マスプロ化が進む面もあると思います。
投稿: まつもと | 2011年12月23日 (金) 03時15分
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 株の初心者の資金 | 2011年12月22日 (木) 10時01分