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2011年12月 5日 (月)

TPP(⇔自由貿易)を巡るもろもろ

 報道によると、野田首相はTPP参加や消費税率引き上げで《捨て石》やらになるそうだ。

消費増税へ「捨て石になる」=野田首相 (時事通信) - Yahoo!ニュース時事通信 12月3日(土)20時15分配信
 野田佳彦首相は3日夕、都内で開かれたベンチャー企業経営者らの経済団体の会合であいさつした。出席者によると、首相は消費税率引き上げや環太平洋連携協定(TPP)交渉参加に関し「自分の代で、しっかりと捨て石になってけりをつける。不退転の覚悟でやる」と強調した。

 「捨て石」の原義は、「囲碁で、自分の形勢を有利に導くため、相手に取らせるように打つ石」(大辞泉)のことだが、日本のTPP参加が長期的に、日本国の形勢を有利に導くことに果たしてつながるのかどうか。私がグダグダ言うより適切なサイトの記事があるのでご紹介しておく。

(1)「代替案のための弁証法的空間」さん
 いろいろな観点から論陣を張っておられる。まずはTPPの受益者は誰か、関連の記事(①)。そして、実は米国民も自由貿易が嫌いだという世論調査(②)。

TPP・経団連米倉会長・住友化学・モンサント(日刊ゲンダイの記事紹介)
アメリカ国民の多数は自由貿易が大嫌い  

(2)「かわうそ亭」さん
 こちらの論点の興味深いところは、TPPによってビジネス界はさらにグローバル展開できる、という点について疑問を投げかけていること。日本の企業の生産性は、実はこの列島の人々の総合力の上澄みなのであって、列島の外に一歩出た途端、シンデレラの真夜中の鐘の音のように、その麗しい馬車はかぼちゃの馬車に成り下がるだろう、というのは私も予想するところ。

TPPについて語る時にやつらの語ること(上)
TPPについて語る時にやつらの語ること(中)
TPPについて語る時にやつらの語ること(下)

■比較生産費説への疑問
 私からひと言コメント。TPP(⇔自由貿易)の議論が想定しているリカードの比較生産費説にはおかしな点が二つある。
 ある時点(Cross Section)において、二国間でそれぞれの国が自国内の産業の生産性を比較して、比較優位の産業にのみ国内資源をシフトすると、資源シフト前よりシフト後の両国合計の生産物は増加するから everyone happy となる、というのがリカードのシナリオ。
 例えば、ある時点において自動車産業がA国では成熟産業、J国では幼稚産業だとすると、J国は例えば繊維産業(現時点で比較優位)に国内資源をシフトしたほうがよいというのだが、それが本当なら日本にトヨタもホンダも存在し得なかったろう。工場生産性において長く米国のビッグスリー(GM、Ford、Chrysler)のほうが高かったわけだし。つまり、その時点(Cross Section)ではメリットがありそうだが、時系列(Time Series)における将来の生産性の変化を全く考察に含めていないので、長期的な産業構造の変化には黙して語っていないこと。これが一点。
 例えば仮にその場での両国生産物の合計量がそれ以前より増加したとしても、両国が専業化した生産物の交換比率(つまり市場価格)がどちらに有利になるかで、生産物増加のメリットを一方の国が吸収してしまうという事態を考慮外にしている点。
 この2点からでも、かなり一面的な片手落ち議論だと考えるべき、というのが私の見方である。

〔参照〕
①縮小に向かえ!?「自由貿易」(1
②縮小に向かえ!?「自由貿易」(2)
③グローバリゼーションの次は何か

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コメント

かわうそ亭様

お久しぶりです。

>かつてメーカーの経営者の中には、日本人の農民の気質が成功の鍵だったと公言した人もいましたね。

だいたい、この列島の近世における百姓(common people)を、単純に《農民=農業
=生業=合理性を追求するわけではないがまじめな仕事ぶり》とみることにそもそもの間違いがあります。

例えば、1822年(文政5)刊の大蔵永常著『農具便利論(効率的な農具とはなにか)』の巻末には、大坂の農具商による農具販売のカタログが掲載されています。

あのミネソタの駅員であったユダヤ人シアーズが売れ残りの腕時計を買取りカタログ販売しだしたのが1893年です。

これからしても、列島の19世紀は common people の世界で、既に business society が動き出していたと見るほうが論理整合的です。

上記の農書の巻末カタログを見て大坂の商人に最新の農具を注文する《百姓》が、今の我々が《農民》でイメージするような、ただひたすら汗水たらして土にまみれるだけの人々のはずがありません。

明治(維新)の最大の失敗は、学歴インテリに西欧エリートの《庶民観=愚民観》を植え付けてしまったことです。西欧の大学カルチャーを導入するということは、帝国学士様の脳裏にそういう刷り込みをすることを同時に意味していたというわけです。仮に日本のエリートに「品格」がないとしたら、そのせいですね。

投稿: renqing | 2011年12月 9日 (金) 01時49分

ありゃりゃ、名前を入れずに送信してしまいました。ごぶさたです。直前のコメントわたしからです。すみません。

投稿: かわうそ亭 | 2011年12月 8日 (木) 18時31分

「日本の企業の生産性は、実はこの列島の人々の総合力の上澄みなのであって、列島の外に一歩出た途端、シンデレラの真夜中の鐘の音のように、その麗しい馬車はかぼちゃの馬車に成り下がるだろう」という寸言、まさにわが意を得たりであります。かつてメーカーの経営者の中には、日本人の農民の気質が成功の鍵だったと公言した人もいましたね。

投稿: | 2011年12月 8日 (木) 18時03分

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