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2012年1月14日 (土)

日本社会の構造転換(1960年革命)

 1945年の意味、という記事で先進資本主義国において共通する社会構造の不可逆的な変化を指摘した。分配構造が第二次世界大戦を境に激変したのだ。では、そこで引用した網野善彦の注意は、彼の指摘に尽くされるのだろうか。

 実はそうでもない。下記の図は、

須藤 一紀「よくわかる日本の人口」(第一生命経済研レポート 2005.6)

から拝借したものである。これは日本史上における《人口転換》を分かりやすく図示したもの。総務省の人口統計から作っても良かったのだが、正確な人口データである国勢調査は1920年(大正9)以降しかないため、推計データを接合する都合上、上記の優れた図を使わせて戴いた。

A

■人口転換
 さて、その図にあるように、近代社会では共通して《人口転換》なる現象が観察されている。「多産多死」から「少産少死」への転換である。その途中には、 出生率は変わらずに死亡率のみ下がる、「多産+少死」のステップがあり、この時、人口は爆発する。その後しばらくして出生率の低下が追いつき、人口動態が安定する。それは近代日本にも存在した。引用した図からすると、日本における人口転換は1920年代(大正時代)に始まり、1960年には完了している。

※訂正(20150524) 1870年代(幕末維新期)

■労働市場の「吸引」化
 人口圧力(大正youth bulge)におされて、大陸進出に狂奔し、1945年にあえなく、大日本帝国、すなわち明治コンスティチューションが瓦解した時代がまさにそれである。 そして、人口転換の終息する1960年代の劈頭を飾った六十年安保の後に何が始まったか。高度経済成長である。すなわち、その後の十年間、労働市場に強烈な需要が発生したことになる。これは列島史上、空前絶後の「人手不足」を惹起した。つまり、労働の価格すなわち賃金率が急騰し、それまでの日本社会における相対価格が一変する。

※訂正(20150524) 人口転換が1870年代から1960年頃だとすると、丸々100年間人口爆発の期間だったことになる。もう少し細かく観察すると、1870年代から1910年代にかけては、普通出生率が上昇し、普通死亡率が下降する鋏をひらいた状態となっている。これは人口超爆発という状況であり、明治末から大正にかけて日本社会各所に猛烈な人口圧がかかっていたことを意味する。日本中に若年層が溢れているわけだから、方向感覚を失い、捌け口を探す(己の居場所を探す)盲目的エネルギーが、対外膨張(大陸雄飛、南洋植民)へ流れ出すであろうことは見やすい道理だ。

■おさんの消滅
 こうして「一銭五厘」のコストの召集令状で成人男性一名を調達できる時代は終焉した。また、夏目漱石の作中人物、たかだか中学校の英語教師である珍野苦沙弥先生宅に下女おさんがいたのは、下女・女中の労賃が安かったからだが、そんなこともこの時期以降、昔語りとなった。

■日本的雇用慣行
 かつて日本的雇用慣行の三種の神器といわれた、終身雇用、年功序列、企業別労働組合も、実は日本の伝統などというものであるよりは、この高度経済成長期の労働市場の逼迫に適応するために結果的に形成された経営装置・制度だったと見るほうが正しい。

■クリオの復讐?
 こうしてみると、1980年代以降のサッチャーイズムやレーガノミクス、構造改革とは、旧き資本主義秩序の巻き返し以外 の何者でもないことになろうが、その肝心の資本主義秩序の要、米国のドル資本主義がサブプライムローン問題以降、轟沈しかかっているだから、これは歴史の女神クリオの復讐といえなくもない。

■参照 人口転換モデル(平成16年版 少子化社会白書(全体版)より )

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■参照
日本社会の構造転換(続)
日本社会の構造転換(3)
日本社会の構造転換(4)

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コメント

ヒルネスキー様

コメントありがとうございます。
十分ではありませんが、応答を新記事としてアップしました。ご参照ください。

日本社会の構造転換(3)
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2015/10/post-ada3.html

投稿: renqing | 2015年10月 5日 (月) 02時52分

1866年から1907年まで関税自主権が無かったそうです(完全な回復は1911年)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%A8%8E%E8%87%AA%E4%B8%BB%E6%A8%A9

1921年(大正10年)に上水道の塩素殺菌が始まったとも。
http://www.nli-research.co.jp/report/researchers_eye/2013/eye140219.html

人口超爆発の原因は
・関税自主権の放棄による平均寿命の低下(これについては確証無し)
・殺菌無き上水道の普及による乳幼児死亡率の上昇
この二つじゃないでしょうか。

投稿: ヒルネスキー | 2015年9月30日 (水) 16時03分

ドイツなどは日本より人口転換のタイミングが若干早い(そして英仏より遅い)と思われるので、多産少死期が二度の大戦ともろに重なるのではないでしょうか。

投稿: まつもと | 2012年1月15日 (日) 09時30分

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