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2012年4月 2日 (月)

新カント派の亡霊について(応答3)

応答2〕より

 自然法に関してバランスのとれた記述は、思想史家の関曠野氏の下記のものが最良かと思います。思想史的流れと現代との関わりを簡潔に記述しています。私のゴタゴタした物言いを読むより、100万倍よろしいでしょう。ご参照を強く願います。

自然法について(関曠野)

 また、世界人権宣言(1948年)は、自然法思想の20世紀における再生といえるでしょう。

世界人権宣言(全文) | AMNESTY INTERNATIONAL JAPAN

*自然法と17世紀科学革命に関しては、下記の拙記事をご参照戴ければ幸甚。

自然法(natural law)から自然法則(natural laws)へ、あるいはブルジョアジーの頽廃について: 本に溺れたい

〔応答4〕に続く(はず)

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コメント

がんちゃん さん

コメントありがとうございます。

がんちゃんさんは、「経験的実証」、「『行動』に関する実証的研究」などのように目に見えるような「実証性」を真偽の最終的な判定基準としてお考えのようです。

それでは、がんちゃんさんの弊ブログ記事へのコメント「行動」から実証的に何がわかるでしょうか。

1)かなり長文のコメントである。
字数4618→400字詰原稿用紙11枚分超
2)長期にわたるコメントである。
2012/02/26-2012/02/27で大量にコメント
そして二年半後の2014/10/13にその続きを
コメント。
3)「行動」「実証」という言葉が大好き。
引用を除くと文中に、「行動」9回、「実証」6回登場。

う~ん、弊ブログ主にはあまりよくわかりません。
Max Weber は新カント派に分類される偉大な社会科学者ですが、かれは「動機の意味理解」法という概念を提唱しました。ある人物の行動には、その行動を突き動かす動機が必ず潜んでいて、それはいかに自分と異なる価値観・思想・信条に属するものであっても、他者である学知者が価値自由な立場を構成した上でなら、その行動の(本人にとっての)意味を理解し記述することが可能であるというものでした。その論法を適用すると、がんちゃんさんは、人間を考察する場合は、その行動から考えるべきであって、その人物がどういう価値観を所持しているか、何を善とみなし、何を悪とみなすか、といった内面の考察は重要ではない、という信念と価値観をお持ちのように推察されます。そのお考えを、ごくごくマイナーな、吹けば飛ぶような弊ブログにコメントという形で少なくないエネルギーを注がれて表明されている。ご自分と異なる価値観・信念を持っている人物にご自分の信念を説かれるということは、その異なる人物の価値観・信念をご自分と同じものに変えたい、という欲求をお持ちのようにも感じますし、弊ブログにアクセスするであろう、日本社会のごくごく一部に人々にご自分のご意見を見てもらいたいとお考えかとも思います。

弊ブログ主は、「ought to be(価値観・思想・信条)」から「to be(行動やその帰結)」はいろいろ導き出せるが、to be(であること=事実)」から「ought to be(であるべきこと=価値)」を導き出せないと考えている者です。従って、弊ブログ主をがんちゃんさんの宗旨に説伏させようとされることは無理そうですし、もし不特定多数の他者にご自分のお考え・信念を訴求したり、広めたりしたいという欲求をお持ちなら、ご自分のサイトなりブログを開設されて、長広舌を振るうのが適切ではないか、と考えます。
また、私は(意外にも?)「歴史の篩」という意味で、進化論の信奉者でもありますので、長期的にみれば、世界をよりうまく説明し、多数の納得と支持を獲得する言説が生き残ると思っています。したがって、
>「現在及び過去の人間の(意識とか思想ではなく)『行動』に関する実証的研究を抜きにして人間社会を「かたる」ことはもうよしましょう」
と弊ブログ主ごときに説かれなくとも、がんちゃんさんのご高説が実証的により優れているのであれば、多数の支持をとりつけるはずなので、がんちゃんさんはより効果的に世に訴える方法を取られたほうが、その努力が実を結ぶ確率は高いのではないか、とも愚考致した次第です。
ご検討頂ければ幸いです。

投稿: renqing | 2014年10月20日 (月) 04時53分

その(4)が終わっていないのにコメントするのは適切ではないかもしれませんが……

私の最近考えるところを2つばかり。
その1. 『思想史』はほとんど嘘である。
その2. 以前のエントリにあった「日本の中途半端な秀才は自然法に冷淡」というのは当然で、それはイギリス人やフランス人が清に対してアヘン戦争の時に何をしてきたかを見ているからである。
その3. 経験的知見を抜きにして「人間の本性」をかたることに私は何の意義も見い出すことができない。

1. 大前提として、『思想』の本を書いていたは、文字を読み書きできる人間だけである。要するに金とヒマのある人間だけである(別に私は毛沢東やポル・ポトを尊敬しているわけではありませんがね)。
識字率の上がった現在であっても、あえて『思想』について読んだり書いたりする人間は少数である。『思想』についてまじめに考える人間が社会の(統計的意味での)適切な代表であるとは思われない。また、個人の言語的意識は自分自身の行動さえ完全に捉えることができない。逆に言語的意識通りに人間が行動しているわけではない、ということも近年の行動科学によって暴露されつつある。『思想』が現実社会の人間の姿を捉えているかどうかは大いに疑問である。

2. 前項とつながるが、明治日本成立においてアヘン戦争に敗北した清の惨状が非常に強い影響を与えたというのは広く知られているところ。それを見ればフランスやイギリスの『思想家』の言うところの「人間の本性」など信ずるに足らぬ、というのがアジア人としては当たり前であろう(中国共産党のやりくちを認めるわけではないが、中国共産党が欧米人のいう「人権」思想にはなはだ冷淡なのはアヘン戦争の怨念を再生産しているからというのも一因であろう※)。『思想』は本の中にあるだけで凡人の行動には限定的な影響しか与えていない。ブログ主様は『思想史』に溺れ現実の歴史を見ておられない。
※最近の中国映画で(もはや中国共産党の宣伝マンと化した)ジャッキー・チェン主演の「ライジング・ドラゴン」という「面白い」映画がある。それは現代を舞台にした映画なのだが、イギリス人、フランス人は略奪者でありなおかつ中国人民から奪ったものを返そうとはしないふてぶてしい奴らとして描かれている。150年前のアヘン戦争ですらそうなのだから、共産党が対日戦争の恨みを再生産し続けるのは当たり前……彼らのいう「歴史」とは恐ろしいものだ。

3. "natural law"が「自然の法」であるとともに「人間本性の法である」というのは今までブログ主様と論じてきたとおり。おすすめの関氏の文章も読んでみたが、「そうしたモラルは、すべての人間に生まれながらに備わる人間性に由来する」と、_何らの経験的実証も伴わない_教条を垂れ流しているに過ぎない。
また「すべての人間に生まれながらに備わる人間性」があるのであるならば関氏自身が書いておられるような、日本で「自然法思想は黙殺されたまま」いうことになるわけがない。

要は、私の思うところは「現在及び過去の人間の(意識とか思想ではなく)『行動』に関する実証的研究を抜きにして人間社会を「かたる」ことはもうよしましょう」ということです。

投稿: がんちゃん | 2014年10月13日 (月) 09時56分

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