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2012年6月18日 (月)

人には生まれながらに尊卑の別がある

 これが世界中どこでも、前近代の常識=当り前だった。これが常識だったということは、この観念を分有していたのが、尊貴なる方々だけでなく、その支配を受ける卑しい下々の人々も同じだったということであり、そこに事態の見えにくさがある。

 そして「人には生まれながらに尊卑の別などない」が、近代の常識=当り前である。我々はこれを義務教育で繰り返し刷り込まれているから、現在ではこれ以外の発想が抑圧されがちとなる。

 つまり、我々が過去、特に前近代社会の歴史を考察する際、最大のパーセプションギャップがここにあることになる。だから、日本列島の初期近代である徳川史を取り上げる際、いかにもそこに《近代》風の思考、嗜好、態度、エートス、制度設計、etc.の事実があったとしても、それは《人には生まれながらに尊卑の別があり、それは人が人である限り最も守らなければならない人倫で、それに反することは反倫理的思考、非人間的行為なのだ》ということが当り前の「空気」の中で機能していることがらであることを意識する必要がある。そうしなければ、徳川期の史的文脈を読み違えることになってしまう。

 いわゆる「近代化」論からする徳川期再評価が、かつても今もどうにも上滑りになりがちなのは、この深刻な《認識上の齟齬》という「事実」に対する感受性のなさに起因していることが多い、というのが今の私の仮説だ。
 その系論として、歴史嫌いの中学生、高校生を生み出す場合は、その社会科担当教師たちにこの「断層」の認識が欠落していて、史実のみを生徒たちに押し付けて「歴史科」授業としているからだ、ということもできるだろう。

■参照
身分再考
身分再考(2)

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コメント

かぐら川さん

こちらこそご無沙汰しております。

>経済的不平等を“身分”と言う「経済外的」観念で糊塗してきた前近代

>経済的不平等を個人の能力にのみ帰す現代

これは適切な表現ですね。別途、記事を書いてみます。
コメントありがとうございます。

投稿: renqing | 2012年7月16日 (月) 02時28分

お久しぶりです。
「人には生まれながらに尊卑の別などない」ということの“意味と意義”をきちんとていねいに教えるのが「社会科」の課題であろうかと思います。これを、お題目のように「義務教育で繰り返し刷り込」むことが、歴史の中に近代の観念(本来の意味でのイデオロギー)を安易に持ち込むことになるのでしょうね。
経済的不平等を“身分”と言う「経済外的」観念で糊塗してきた前近代も、経済的不平等を個人の能力にのみ帰す現代も、くもりのない目る訓練が私のような学問から遠のいた、現実にうもれている者には必要と自戒しています。

投稿: かぐら川 | 2012年7月12日 (木) 22時47分

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