歴史へのアプローチ
古川浩一様より2点お尋ねがありました。
簡略ですが、お答え致します。
■江戸時代、なぜ日本は資本主義化しなかったか
この問題につき注意すべき点は、二つあります。
①資本主義の発生をどう考えるか。
②それを資本主義形成時の西欧との比較で考えてみる。
これらについてはすでに弊ブログで部分的に私なりの説明を致しました。
下記の三編ほどをご参照戴ければ幸いです。
1)歴史における必要条件と十分条件(1)
2)歴史における発生と定着、あるいはモデルと模倣
3)徳川国家の資本主義化を妨げたもの
■人間の尊卑も歴史によってもたらされたものが多いのではないか
はい。
恐らく、各社会、各時代での人間の尊卑の位置づけは、その時々の歴史的経緯で生成定着したと思われます。
ただし、私達が注意しなければならないのは、「歴史によってもたらされた」といった《歴史相対主義》的観点そのものが、相当に modern なものだという点です。
我が国では、一代の碩学、新井白石(18世紀前半)の史学思想にそれが伺えます。欧州では、ヴィーコ(伊・18世紀前半)やヘルダー(独・18世紀後半)に見られるようです。それでも、歴史に対する見方として一つの有力なアプローチとなったのは西欧においても19世紀後半のようです。したがって、人類史の大半では、今眼前にある人間の尊卑は過去から未来永劫まで不変なものと見なされていたと考えるのが妥当であると思います。
現代から過去を観察する場合、当時の人々が《どう考え、どう見ていたのか》、彼らに《どのように見えていて、どのように語っていたのか》を、まず再構成する必要があります。
なぜなら、私たちは「その後」を知っていますが、彼らの頭の中の世界像や未来像がそれと一致していた可能性は極めて低いからです。
それが私流の歴史アプローチです。
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