なぜプロテスタンティズムは異端として殲滅されずに済んだか(2)
(1)の記事は、
小泉 徹『宗教改革とその時代』山川出版社(1996)(世界史リブレット27)
の書評記事だった。その縮約版は4年前に amazon.jp に投稿しておいた。
最近になって、小泉氏のその著書に新たな amazon.jp のレビューが付されていて、どうもそれが私のブック・レビューへの反論になっていることに気付いた。
そこでこれはちょっと応答せざるを得まいということで、その書評に
レビュー・コメントを付した。それが以下。
今、本ブログの更新が遅れていて、不義理をしている方もいらっしゃるが、とりあえず更新の責務を果たすため、その文を本記事に代用させて戴いた。私が不義理をしている方々、もう少しお待ちを。このお盆休み中には2本記事を書くつもりがあります。m(_ _;)m
引用開始
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別に私はこの本の著者と縁もゆかりもない。従って著者を擁護する世間的義理も一切ないが、この本を高く評価するものとして、あべら氏のレビューには異論を唱えておこうと思う。
@レビュー中に以下の評言がある。
>p.32.l.15 ×救済への不確かな道→○救済への確かな道
>宗教改革のようなタイトルの本でこの手の誤植は致命的である。
私は当該の文を一読したとき特に違和感はなかった。逆に、あべら氏の提案のように変更すると違和感を持つ。理由はこうである。
カルヴァンは徹頭徹尾、神の無限大の偉大さと人間の無限小の矮小さを説いた。カルヴァンの解釈からすれば、ある人間が救済されるか否かは神の一存でありそこに人間が容喙する余地など一片たりともない。救済は神によって既に決定されていて、それは人間の行為によっては一切影響されない。
「選ばれた者」となる《確実な》方法はない(本書P.32,L.4)
したがって、
「予定説は、あらゆる職業生活を「召命」」とみなし、それにはげむ
ことだけが、救済への《不確かな》道だとしたのである。」
(本書pp.32-33) 《》は引用者の強調符
以上、著者の表現のほうが、あべら氏のご提案よりもカルヴァンの趣旨に適っていると私はみる。
A)小修道院、大修道院、の表記
これに関しても(私自身はそれがpriory, abbeyの訳語とは無教養のため知らなかった)、ネット上でも「小修道院解散法」の表現も散見されるので、それが本書の評価に影響するような甚大な瑕疵であるとは判断し難い。英語表記でも、the Act for the Dissolution of the Lesser Monasteriesとまでわざわざ書くことはあまりないのでないだろうか。
B)現代社会におけるアメリカの影響力とプロテスタントの影響力の相違
「現代社会におけるアメリカの影響力は微々たるものどころではないと思うが、この例外をどうするのか。」とあべら氏は指摘されている。
しかし、現代社会におけるアメリカの影響力はその資本主義的工業化の成功による経済大国化、軍事強国化に負い、ほぼ第一次世界大戦以降のこと。Max Weber も縷々述べているように、資本主義の精神の生成に禁欲的プロテスタンティズムが構成的な影響を与えてはいるが、禁欲的プロテスタンティズム(のみ)が資本主義の精神を生み出したとまでは言えない。ましてや資本主義的工業化においておや。したがって、北米合衆国の影響力を禁欲的プロテスタンティズムに結びつけるのは俗耳に入り易いが学問的とは言えないと思われる。
C)人種差別とプロテスタント
「プロテスタントの国でもオランダは、首都アムステルダムの街角に黒人の警察官がたっているくらい人種差別意識が弱い。」
あべら氏のこの評言に対しては、それは近代啓蒙主義(あるいは人権思想)の普及のおかげであって、とりたててプロテスタティズムのおかげである、とまでは言えないのではないか、と反論可能だろう。それは差別の厳存する北米合衆国でも、公的職務の人口比をマイノリティの人口比と同じにする法があるとの同じ。
D)あべら氏の眼差し
レビュー中の「長く予備校で教鞭をとった後」、「予備校では日本史か何かおしえていたのだろうか?」「民間からの大学教員登用は、やはりやめてくれ」等の評言をみると、本著者のキャリアに対するあべら氏の偏見が本書の評価に影響を与えているように伺われる。これは、あの「羽入-折原論争」的なものを私には連想させる。
私にとり小泉徹氏の学問力がいかなるものかは気になるところではあるが、小泉氏の個人的キャリアはとりあえず小泉氏の著書の評価とは一応別だと考える。ダメならダメと判断するだけで、それは私の羽入氏著書への評価と同じ。
たとえ、折り目正しく、順当に帝国大学の博士課程を修了するなど学者人生を過ごしていても、その産出物が学的にあまり素晴らしくない方々もいないとは限らないと思うので。
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引用終了
(3)へ続く
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