芭蕉はかっこいい
松尾芭蕉(1644-1694)の高足に向井去来(1651-1704)がいる。師没後、蕉風が拡散していくことに危機感を感じた去来は、本来の蕉風の再提出を企図して師や蕉門での議論を一つの書物にまとめた(1702-1704、印刷物になったのは1775)。それが「去来抄」。その中に、しびれるような芭蕉の一言があった。
「去来抄」の中身は四部に分かれる。先師評、同門評、故實、修行の四つである。そのうちの、先師評にこの言葉はある。引用してみる。
下臥したぶしにつかみ分けばやいとざくら
先師路上にて語り(て)曰く「此頃、其角が集に此句有り。いかに思ひてか入集しけん」。去來曰く「いと櫻の十分に咲きたる形容、能く謂ひおほせたるに侍らずや」。先師曰く「謂いひ應おうせて何か有る」。此におゐて胆に銘ずる事有り。初めてほ句に成るべき事と、成るまじき事をしれり。
「謂ひ應せて何か有る」
この一言のかっこよさにしびれた。この件を我流に解釈するとこうなるか。
俳諧(俳句)は、たった十七音の文芸である。したがって、その文芸としての独自性と力は、言葉を尽くして表現するところにはない。そこが勝負どころなら散文を書けばよろしい。むしろ言葉を17音に制限し節約することによって、どうやったら人生の深みや季節の移ろい、宇宙の神秘を表現することができるのかを探究することが、俳諧の文芸としての独自性と存在価値である。其角の取り上げた句がその方向に何か新しいもの(something new)を付け加えているなら検討・評価に値するが、そうでないならば、取り上げる価値なし。
※引用元、口語訳は、下記を参照されたし。
去来抄 (付口語訳) 先師評
ついでに。Wikipediaに「日本史上最高の俳諧師の一人である」と書いてあった。これでは過小評価だろう。芭蕉は《日本史上最高の詩人の一人である》が正しい。
〔参照1〕まさにこれ。
誰にも言えそうなことで、誰も言えなかったこと
〔参照2〕散文詩との比較で。
宇宙をかき混ぜちゃえ
〔参照3〕去来の議論の所在は下記から教えて戴いた。感謝のひと言。
山下一海 「言い尽くさないこと」
俳句研究 75(3), 102-105, 2008 (特集 いま、芭蕉を読む)
角川SSコミュニケーションズ
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