市川伸一 『勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス』(岩波ジュニア新書2000年)
うまく書かれている本だと思う。高校生にもメリットがあるだろうが、誰かに何かをコーチする仕事に携わるビジネスパーソンにも一読の価値があるだろう。また、認知心理学を知るためにも役立ちそう。
How-toものとして実践的なのは、5.「文章を書く」だろうか。ここくらいまで「書く」ことをブレイクダウンして解説した書籍は余りないのではないか。役立ちそうだ。理論的には、アイデアを対象化して図・グラフに表したり、言語化して読めるようにすることのメリットを説く際、塩沢由典氏の複雑系についての議論が本書の議論をサポートするだろう。「合理性の限界」「希少資源(リソース)としての注意」など。
簡単に言えばこうだ。
PCは、CPU、メモリー、HDDで構成されている。HDDからデータがメモリーに移され、その後はメモリーとCPUの間で計算結果のやり取り(入出力)があり、最終結果はHDDに格納される。その際、メモリーの容量が小さいとワークエリアが狭まり途端に計算効率が低下する。そのため、通常、HDD上に仮想メモリーが設定され、HDDのリソースが一部メモリーとして運用される。
我々ヒトの脳細胞上では、CPU部分、メモリー部分、HDD部分と物理的に区分けがあるわけではなく、すべて均一なのっぺらとした脳細胞だ。ということは、考えるためのリソースと考えた結果を一時保管するリソースと長期にわたり保管するリソースは、皆おなじ脳細胞ということになる。したがって、膨大な暗算や、複雑な思考をウンウン唸って頭の中だけで済まそうとすると、考えるリソース(CPU+メモリー部分)に使われるべき分が一時保管や長期保管(HDD部分)のリソースとして削り取られ、思考作業にはより少なくしか投入されず、効果的に考えることが出来にくい。しかし、アイデアや考えて出した一次結果を、ノートに言語化して書き出したり、それをわかりやすく図表で表現したりすることで、脳細胞の記憶作業の負担が減り、その分のリソースが思考作業に十全に投入されることになる。つまりより「考える」ことに集中できる。その上、そうやって対象化し外部化したアイデアはさらに考えるための新たなる「部品」「道具」として、操作アイコンとして使うことができるので、ますます効果的、効率的に思考できることになる。文中、
人は「考えたことを書く」のではなく、いわば「考えるために書く」のである。
(本書p.186)
とあるのはまさにこのことだろう。意外なところで、塩沢理論と共鳴することがわかり、楽しかった。諸氏もご一読あれ。
市川 伸一 『勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス』(岩波ジュニア新書2000年)
目次
はじめに
1 学習観を見直す
勉強法の問題点を探る
学習のしかたに目を向ける
勉強方の背後にある学習観
2 記憶する
英単語の学習の工夫から
記憶理論から見た勉強法
記憶のモデルを考える
3 理解する
用語が理解できないのはなぜか
図、公式、手続きの理解のために
文章を理解する
4 問題を解く
問題を解くときの心の中
「数学=暗記」説はほんとうか
見落されがちな勉強のしかた
広い意味での問題解決
5 文章を書く
小論文を書くときの姿勢
「読んでから書く」という本格的な小論文
文章作成の過程とスキル
おわりに
〔参照〕当ブログの関連記事
「わかる・できる」マトリックス(2)
「わかる・できる」マトリックス(3)
市川伸一氏の「学習動機の二要因モデル」
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コメント
renqinqさま
なんだか、われわれ、岩波ジュニアしか読んでいないみたいな印象を与えてしまいますね(笑)
さて、この本についての議論は、教育論一般を深めるうえで役立つように思いますので、もう少しお付き合いください。
❶動機/インセンティブについて
私は、市川氏が「やる気を出す」という章をつけ加えても無駄に終わるだろうと思います。おそらく、やる気が出るときの〈分析〉が書かれ、(うまくいけば)やる気の「こと」がわかるかもしれません。でも、結局、「で、どうすればいいの?」という疑問が出てくるものにしかならないと思いませんか?
この点、私は浅学なので、お気づきのことがあればご教示いただきたいのですが、現代の心理学は一般に近代的還元主義に立ったものか、行動分析学のように完全に内的動機を無視したものかの二つしか無いように思います。(唯一見込みがあると感じるラカンは難解すぎます笑)
しかし、動機を要素還元することは不可能である気がしています。たとえば、鉄道好きに、鉄道の何が好きなのかと尋ねてもほとんど無意味であるように思えます。
あるいは、行動分析学を用いて、自分にご褒美を与える、というアプローチを取るということが書かれることになるのかもしれませんが、問題は、ではそもそもどうしてその行動をすべきだと思ったのか、という点に答えられないように思えます。
まあ、兎に角、この本の出来から考えて、動機/インセンティブについても市川氏に期待できない気がしてしまうのです。
❷適切な tutor について
これは次の❸につながると思われる、予備的設問です。
最近、ある大学院の教授が、「一定レベル以上の生徒にとって、教師の授業は不要か、あるいは無駄」と書いているのを目にしました。
私にはこれは暴論に思えます。
ある目的(たとえば試験合格)に規定された勉強は、その全体像を知った、適切な段差を用意できるtutor についた方が、絶対的に効率よく学べるに決まっています。司法試験予備校しかり、学習塾しかりです。
せめて「レベルの低い教師」と書いていたならわかりますが。
とにかく、何かが「できる」ようになるという点で、あるいは動機/インセンティブの点で、適切な「教師」の存在意義を改めて考える必要があると思うのです。
❸東大について
児玉聡『功利主義入門』(ちくま新書)によると、マサチューセッツ大のエプスタインという心理学名誉教授は、われわれの思考様態を、「経験的システム」と「分析的システム」に分ける議論を提起していますが、昨今の脳科学研究のfMRIを用いて研究によって、そうした二つの思考システムの違いが裏付けられてきており、経験的システムでの思考と分析的システムでの思考では、脳の活性する部位が違うというのです。
ここからは私流の敷衍ですが、人間の思考に、脳の異なる部位を使った二つの思考があるとすれば、「頭が良い」ということの定義をもう一度見直さなければならないのではないかと思うのです。
たとえば、われわれが「わかる」と言うとき、それは分析的システムを使用していて、応用が利く状態になっていることを意味するように思えます。
しかし、この「わかる」は「できる」とは違います。問題構造が分析できても、それが制限時間内にサクサクと試験問題を解ける状態になるには、経験に落とし込む訓練が必要でしょう。(ちょうど、市川氏のこの本が、高校生の役に立たなそうであるのと同じ構造です。)
では、と私は考えます。
では、「わかっ」ていないのに、「できる」者はどうなのでしょう? 実際、司法試験予備校や学習塾などは、「わから」なくても「できる」状態をつくろうとしてはいないでしょうか。
たしかに応用は利かないかもしれない。でも、決まった範囲からしか出ないような試験問題対策であれば、意味もわからずに「解ける」ということがあるでしょう。
さて、そんな人たちがたくさん東大にはいるわけです。なかんずく、社会へ出て活躍するという実践の選択肢を恐れた、研究者コースの方々などの場合は、さらなり。
口が悪すぎますね(笑)すみません。
いや、言いたいのは、この二つの思考システムに注意を払った議論をしないと、まったく社会の役に立たない「頭の良さ」という、ある種の語義矛盾をおかすことになる気がするのです。
さきほどの、❷の大学院の教授などは、この逆で、議論を読めばどうも偏差値的尺度を子どもを測る基準にしているのに、教師は無用だというわけですから、もはや議論がちぐはぐすぎて笑ってしまったのです。
「結論」
無駄に長くなってしまって申し訳ありません。結局、私が言いたいのは、市川氏の議論は、「わかる」だけをターゲットにしていて、世の中のニーズである「できる」に気を払っていない、ということなのです。そして、同時に、世の中の消費社会に寄生する業態が、すべて「わかる」を無視したことをやっていることなのです。
市川氏には、この点にもっと問題意識を向けてほしいと思ったのです まる
投稿: 足踏堂 | 2012年11月10日 (土) 15時57分
足踏堂さん
はい、コメントを期待しておりました(笑)。
①指導者向け
②読んで使えるのは賢くて勉強のできる子
(すでに学業抜群の子)
仰せの通り。異論なし。
率直に言って大学(高偏差値)の教養部レベルですね。
③学習への動機・インセンティブの記述なし
この点を批判するのは幾分酷でしょう。
本書「おわりに」で、
1つ心残りなのは、当初予定していた「やる気を出す」
という章を割愛してしまったことだ。
とありますから。
和田秀樹に関する見方は、毎度ながら鋭いご指摘。納得です。
④一般の高校生では、この本で書けるようになれない
またしても、仰せの通り。「書く」ことができるようになるには、
適切な tutor の下で、何度も書いては朱を入れられ、という修行
がないと難しい。その点から、中学校・高校の国語教師による作文
添削指導にはあまり信用が置けません。「読む」ことはプロだが、
「書く」ことにはアマチュアの国語教師に「書く」指導ができる
道理がないからです。そのうえ、大抵の国語科教師は、国文科出身
で、ビジネス文書に必要な散文的(businesslike)文の書法に長けて
いるとはとても思えませんし。
⑤「東大もまだこの程度なんだな」
う~ん、それはですね、東大での教育学研究は、
どうしても自己分析が研究過程に入り込んでしまい、
それこそ防衛機制なり抑圧なりが動き出して、
「なぜ自分が東大に合格できたか」ということを
客観的に考えられないからではないか、思ったりもします。
東大出身の東大教授をインフォーマントにして、非東大出の
研究者が研究したほうがいいような気もしますが。
結局ダメかな? いわゆる「東大話法」(安冨歩)を
長年使っていると頭が悪くなりそうですもんね。
投稿: renqing | 2012年11月 9日 (金) 01時46分
この本は、どちらかといえば指導者向けの本だと思いますね。この本を読んで勉強法に修正を加えられる高校生なら、すでにトップレベルでしょう。renqingさんのおっしゃる通り、認知心理学の入門書としてはアリだと思いますが。
認知心理学は、認知や記憶の仕組みについて教えてくれますが、学習へ至る動機や、インセンティブを与えてくれるものにはならないんだなぁというのが私の読後感です。
和田秀樹の「数学は暗記だ」というマーケティングフレーズの方が、それがいかにウソであろうと、人を動かす力があるわけです。私は和田をほとんど評価しませんが、市川氏などはもっとこういう点を理解するべきだと思います。
renqingさんの挙げられた「文章を書く」のところも、renqingさんだから楽しめた、というのが実際ではないでしょうか(まあ、あのやりとりはおもしろいですが)。一般の高校生には、「で、どうすればいいの?」という読後感が残るだけの気がしてなりません。
先日、市川氏も発表者として出席した、東大教育学部の発表会のようなものに、友人が行ってきたのですが、その感想は「東大もまだこの程度なんだな」でした。おそらく、ちょっと社会の問題実情とはずれた研究をしているという感想だったのだと思います。
投稿: 足踏堂 | 2012年11月 8日 (木) 18時38分